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日本海旅行2日目

  山口・広島大移動
    この日は防府駅の始発列車に乗ることから始まった。人がまばらな山陽本線に乗り、岩国駅を目指した。そこから岩徳線に乗り換えて徳山を目指した。岩徳線は山陽新幹線の利用で書類上乗車したことはあったが、実際に乗るのは今回が初めてであった。岩徳線は自然の中を切り分けて進む路線であり、言われなければ山陽新幹線と並走している路線であるとわからないと思われる雰囲気の路線だった。岩国と徳山は山陽本線で結ばれており、そちらを使った方が速さ、利便性ともに上なため利用者の大半は通して乗ることはなく短い区間の利用者が多い印象であった。
 徳山に到着した後は再び山陽本線に乗った。またこの時間になると広島方面に出勤、通学する人で車内は混雑していた。広島に着くとすぐに可部線に乗った。朝方の下り列車にもかかわらず、座席がかなり埋まっていた。道中は住宅街が多く終点のあき亀山駅までそれが続いており、ベッドタウンと広島中心部を結ぶ路線という印象を受けた。本来の予定では可部線の梅林駅から芸備線の玖村駅まで歩く予定だったが、広島駅での買い物時間を確保するために今回は諦めて可部線で広島駅へ戻った。

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 広島ではこの日の朝食や夕食を購入した。朝食には呉市の名物のがんすを購入し、夕食にはあなご飯の弁当を購入した。またこれとは別に小さい瓶の獺祭も購入した。ところで、広島では至る所で獺祭を売っている様子を見ることができる。獺祭は言わずと知れた名酒であるが、獺祭の蔵元である旭酒造は山口県岩国市にあり、広島県の名産ではない。ただこれについては自分もこの日まで山口県と広島県の県境をあまり正確に理解していなかったので、気にしないことにした。

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   買い物を一通り済ませた後、呉線に乗車した。呉は今まで何度か訪問したことがあり、その時に呉線は利用していたが、呉駅以降を利用するのは初めてだった。呉市は観光も盛んであるため呉駅までは多くの人が利用していたが、呉を過ぎると少しずつ利用者が減っていった。呉線の終着駅の三原に着くと、山陽本線に乗り換えて福山を目指した。

山陽から山陰へ
 福山に着くとちょうどお昼時であり、また福山は尾道に隣接しているので尾道ラーメンを食べた。

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そしてここからは山陰を目指した。まず初めに福塩線に乗り、中部地方山岳部の要所である三次を目指した。福塩線は二つの姿を持つ路線だった。一つ目は福山から府中までの中心部ベッドタウンを結ぶ大都市近郊路線の姿だ。そして二つ目が府中から三次までの山の中を突っ切る地方ローカル線としての姿だ。このように区間によってその趣を変える路線は他にも中央本線などが挙げられるが、この福塩線は全長100キロに満たない路線であり、なおかつ府中駅を境に明確にその姿を変えるところが面白い路線だった。
 三次駅では次の列車まで時間が空いていたので、街をしばらく散策した。散策で時間潰しをした後、芸備線に乗車した。芸備線は日本屈指の過疎路線と言われるだけあり、地元住民の利用も少なかった。芸備線は目的地の備後落合を目指して走り始めた。また芸備線の特徴としてその遅さがある。速度計のアプリで測ってみたところ時速25キロであった。登り坂に弱い鉄道の性質上迂回して少しずつ坂を登らねばならず、車で行けばすぐに行ける区間であってもかなりの時間がかかるようだった。芸備線を利用するわずかな地元住民も各々の最寄り駅で降りていき、最終的に終着駅の備後落合駅に着いた時には自分しかいなかった。

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備後落合駅は山中にひっそりたたずむ秘境駅のターミナル駅であり、ここには春にも訪問しており、これが2度目の訪問であった。その時にボランティアの方の説明とともに駅構内は見ていたので、今回は駅の周辺を探索することにした。しかしいくつか点在する民家以外には何もなかった。しかし自然豊かな中マスクを着けずに散歩をするのは気持ち良かった。(当然だが人が来たらマスクを着けるつもりだったが、この時の探索で人を見かけることはなく、備後落合駅滞在中に見かけた人は来訪時と出発時の鉄道の運転手のみだった)

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 周辺の探索の後、事前に買っておいたあなご飯を夕食に食べていたら次に乗る備後落合を出る最終列車の新見行きが到着した。備後落合と新見の区間は以前に乗っていたうえに暗くなり外も見えなかったので他の作業をしていた。ただ一つ記憶に残っていることは終着駅の新見駅まで東城から一駅間だけ乗車していたお爺さん以外に誰も乗客がいなかった。

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 こうしてほぼ自分しか利用していない芸備線の最終列車を見送った後、すでにサンライズ出雲も見送り静まり返った新見駅に伯備線最終列車がやってきた。乗客はまばらながらも乗車していた。伯備線はサンライズ出雲で通ったことはあったが鈍行としての乗車は初めてだった。ただすでに21時を過ぎておりあたりは真っ暗だったのでどのような風景なのかはわからなかった。またこの日は早朝5時から活動しており体力も限界であったことから乗車している時間の大半を寝て過ごしていた。23時半にようやく列車は米子に到着した。しかしこの日の宿泊予定であった快活クラブは駅から3キロほど離れておりこの後約30分歩くことになった。到着後シャワーのタオルが有料であったり、ブースが狭くて窮屈な思いをするなどトラブルはあったものの、疲労は最大の睡眠薬であり、最低限のやることを済ましたらすぐ眠ることができた。

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