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【Vtuber】「推すということ」と「過去・今・未来」

もう、Vtuber界隈では言われ続けていること。
誰がということではなく誰にでも訪れる可能性がある。
「引退」
その悲しみを後悔の残るものにしないために、VtuberやVの者は普段から
「推しは推せるときに推せ」
という言葉を放ち続けていると思う。
実際にその通りだと思うし、悔いを残すくらいならば限りの力をもって押すべきだと感じる。推すことをやめ、あとから「残念だ」という言葉を投げかけるのは、個人的には無価値だと感じるしなぜそう思うなら推さなかったのかと感じることは多々ある。

やり方や、動きなどのことは、平素から見聞きしていることだと思うので、今回は別の切り口から考えてみたいと思う。
きっかけとしては、まずこちらを見ていただきたいと思う。

そう「電脳少女シロ」彼女が今年の8月で活動2年目を迎える。
2年だ。この間さまざまなVtuberが現れ、そして消えていった。
個人的にはVtuberを見るようになったのは、ミライアカリのデビューからなので実にシロ誕生から2か月は遅れがある。

このイベントの発表を見た時に、思ったことがある。
「2017年後半から2018年初頭にかけての、あの頃のVtuber界隈はもうない」
ということだ。決して今のVtuber界隈が悪いだとかそういう意味ではない。
あの頃の雰囲気はもう戻ってこず、あの時だけにしか感じることができないことが「あの頃」にはあったのだ。

そして、今だ。あの頃から見た「今」は「未来」だった。
そして「今」というものはいずれ「過去」になる。
今得られるものも、過去と同じく未来にはないものだ。

1年後を考えてほしい。自分の推しがまだVtuberとして活躍できていると、明言できる人はそう多くないのではないだろうか?
1年後のVtuber界隈は今とは全く違うものになっているのだろうか?あるいはほとんど変わっていないのかもしれない。

過去を蘇らせることはできない。その時の空気感。流行り。価値観。
そういったありとあらゆるものの「感覚」というものを再現することは容易ではなく100%は不可能だろう。

「まだ大丈夫だろう」「自分の推しはまだいなくならない」
楽観的だと感じる。「今推す」ということの重要性を今一度考えてほしい。

自分の推しを「過去」のものにしないでほしい。
そして推していたことすら「過去の記憶」として処理しないでほしい。

人気が出なかった、事業として成果が出なかったという場合には特に顕著に現れる。

「今推す」ということは「未来に残す」ということ。

これを忘れないでほしい。
明日を得るためには生き続けねばならない。
今日を生き残れたから明日も生き残れるとは限らない。

推すということは、その対象を「未来に押し進める」ことであり、つまりそれが「推す」ということでもある。

自分の推しのために「今」自分ができることをしなければ、し続けなければならない。私はそう思う。

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