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何者かになりたかった話。

8歳の自分と、80歳の自分。
この2人だけは裏切ってはいけない。

こんな言葉に出会った。

8歳じゃなくても、80歳じゃなくてもいい。
ここでいう8歳は、夢を持った時の自分。80歳は、死ぬ時の自分。

私の場合は、8歳ではなく、17歳だ。
好奇心旺盛で、やりたいことも、見たい世界もたくさんあって、
何よりも、何者かになりたかった。
いつか何者かになれる自分の将来に期待を膨らませていた。
自分は夢を叶えるために努力ができる人間だと真っ直ぐに信じていた。

”何者かになりたい。”

10代前半の頃からぼんやりと、でも何度も何度も深く考え続けてきた。
やりたいことなんて分からず、友達も少ないし、自己主張が苦手だった10代の私。自分が何者なのかを、きっと周りの子たちよりも長いこと考えていた気がする。

長いことバスケは続けていたけど補欠止まりだったし、スポーツはそもそも苦手。数学と理科は大嫌い。比較的得意な方だった国語と社会も、高校ではそんなに興味を持てなかった。どれをとっても個性なし、1番になんて全くなれなかった私。

そんな中で、英語は私を何者かにしてくれた。

通っていた英会話教室では、1人だけ単語テストで満点を取れたり、周りの子が訳せない文章を上手に意訳できたり、中学校の英語のテストでは平均点よりも常に30点は上だった。自分は人より優れている、を実感できた分野だった。

英語なら、1番になれる。
当時の私にとって1番になることは、何者かになれることそのものだった。
だから英語だけはたくさん勉強した。

日本の公立高校で、留学経験は無し。最低週6はバスケ部の練習に参加。
英語以外の授業はほとんど寝ていた。同級生には、”起きてる時が無い”と言われるほどの爆睡ぶりだった。他の教科の授業は、部活や自習で消費したエネルギーを回復させる時間だった。中学生の頃のいい子ちゃんだった私からは想像もできない。それでも好きな教科と嫌いな教科をはっきりと感じ取り、なりたい自分像のために何が必要なのかを判断できていた。
授業中に寝るということは、ある意味での自己主張だったとも思う。
(ちなみに今は当時の先生たちには申し訳なかったとは思っている。)

そんな私でも、いや、そんな私だったからこそ、
高校2年生の時に英検準1級に合格した。
クラスどころか学年で1番乗りでの合格だった。
ここで初めて、何者かになれた気がした。
頑張れば夢は叶う、を実感できた瞬間だった。

その時の自分を裏切りたくない、がっかりさせたくない。
そう思いながら、人生の選択を進めてきた。
人生の選択肢で迷った時には周りの人にたくさん相談もするが、
最後には必ず、17歳の自分に聞くことにしている。

なぜなら誰にどう見られようがそれは大した問題ではないが、
17歳の自分に見られて、後ろめたさを感じるような生き方だけはしたくないから。

24歳の今になっても尚、”自分が何者なのか”を、上手く言葉で表現できないし、名高い企業で働いていたわけでも、名前のある職業に就いているわけでもない。大学を卒業し、さらに会社を辞めてからは、自分を定義づけられるものがなくなった。

それでも、私を何者かにしてくれた英語だけは、諦めたくない。

英語を通して、何者かになりたい。

その”何者か”、は一体何なのかに気づけるのは随分先になるかもしれないし、もしかしたら、高校生の時に描いていた”何者か”には、今すでに到達しているのかもしれない。学生を卒業した今、英語はコミュニケーションのツールだから、別に1番になる必要はなく、過去の自分の英語レベルを超えていくことや、やりたい仕事のために求められる資格や検定を取ればいいという思考にも変わった。高校生の時に考えていた何者かの概念は崩れている。人と競争する意志がなくなったので、英語に関しての自己分析を繰り返しながら生きていくことになるのかもしれない。それでも、回り道をしながら、取捨選択をしながら、未だに英語を諦めない今の自身のことは好きだ。17歳の自分に会ったら、きっとこれからどんな未来に進もうか相談だってできるんだろうな。

私のかなえたい夢。
17歳の私が安心して未来に希望を持てる生き方を見つけること。
英語を通して、何者かになること。

この夢をかなえられるのは、まだまだ先になってしまいそうな不安もあるけれど、1日1日、英語に触れる時間を増やしながら、好きな自分でいられる瞬間を積み重ねていきたいと思う。

#かなえたい夢
#英語

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