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優しい人でいたい

褒められた。涙が出た。


自分がそんなにできた人間でもないし、嫌な部分も多いわたしなのに、わたしが書いたエッセイをみて、素敵だ、とか、人柄が出ているとか、こんな文章を書くかほさんはきっと素敵な人なんだろうと言われた。


涙がでた。


わたしはそんなにいい人間じゃない。
いい人ぶって裏で疲れて愚痴もいうし。



むしろ愚痴をいうのは悪いことだと思いすぎている部分もあるかもしれない。いい人で人気者の人も、けっこうズバズバいってたりするのは見かける。それなのになんで人気者なのだろう。
わたしとの違いは何?


でも実際素敵な人が愚痴を言っているのはあまり見かけないし、言っているように見えない。だから自分はその”素敵な人”という立ち位置のそこまでたどり着けないのではないかとおもってしまう。


でもとにかく人に優しくありたい。と思った。


ただただそう思った。


ZINEを作った。完成して、インスタに載せた。
ZINEを作って発売したり、関わる人とのコミュニケーションの中で、さらに色々なことを考えさせられた。


仲がいいからといって買うと思っていなかった友達が買ってくれた。
好きな知り合いの方が買うと言ってくれた。
いいねだけでも嬉しいのに、買わないからきまづいのかボタンすらおしてくれない人もいる。
買うと言っていたのに何もなかったようにスルーしている人もいる。


そんな中で反応してくれている人に、
優しい。って純粋に、本当に思った。
ああ、この人達は私のことを好きでいてくれているんだと思った。


発信する前からわかっていたことがある。
自分がZINEを出したとき、興味のない人に対して少しは悲しい気持ちになるだろうなと。
今回、発信してやっぱりちょっと感じた。
やっぱりスルーする人はわたしに興味がないんだとも思った。
だから少し悲しかった。


わかっていたけど、”ちゃんと”友達・知り合いが私のことをどう思っているのかの答えを見てしまった感じだ。


もちろん仲がいいからと言って読んでほしかったわけでもないから、責めたり嫌いにはならない。
でも、そんな中で買ってくれた人に対して、こんなにも感謝をして、ありがたいな、愛を感じるな、と思ったとき、もう”同じ友達やお知り合い”とは思えなくなってしまいそうだと感じてしまった。


そんな中で、別の話にはなりますがちょっと気になることもあった。
先日、子供と一緒にハロウィンのパーティーに参加したのだけど、


運営の方がシールを配っていて、わたしの両隣の子どもたちに、かぼちゃのシールをあげていた。なのに、わたしの子どもにはくれなかった。
・・・あれ?見えていないのかな?あれ?くれないのかな?
と思ってモヤモヤした。幸いわが子がシールに気が付かなかったから何事もなかったようにその場はやり過ごせた。
ものすごく悲しい気持ちになった。
悲しかったのは、自分のコミュニケーション力のせいでわが子がシールをもらえなかったこと。自分のせいでプレゼントがもらえなかったこと。それに自分のせいと言っているけど、たぶんわたしのせいではない。
相手側の人間性の部分かなと思った。


なぜならば・・・


・・・その運営の方は、前に一度話したことがあるのにその後目も合わないようなお知り合いの旦那さんだった。



その一度話したことがあった時に、わたしがベラベラベラベラ話過ぎてしまってちょっと引かれたかな?と思っていた人でもある。
その後も奥様と一緒にいるときにばったりお会いしたこともあったけど、目すら合わず、会釈もできなかった。わたしのことをどう思っているかは知らないけど、今回こんなことがあって、正直、改めて考えさせられた。


わたしなら、自分や自分の配偶者がなにかイベントを開いたり運営側にいたら、例え少し合わないな、嫌だなと思う人がいても平等に接する。
きまづいから、スルーする。なんてことはしないな。と思って、ものすごく悲しかったし、わたしは今後、こんなことはしないと勉強にもなった。


そして、関わるのはやめておこう。とも思った。


わざわざ分ける必要なんてないし、線引きなんてしないけど、付き合う人は選ばないといけないと感じてしまった。


自分のことを嫌いな人に費やす時間はもったいない。
それなら好きな人、自分のことを好きな人興味を持ってくれる人に充分に時間を費やしたい。


そして、そんな人達には優しくありたい。


わたしは、優しい人でいたい。

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