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モグワイ スチュアート・ブレイスウェイト インタビュー: 変わり者同士が出会えるのは90年代より今

エミリー・マッケイ(英国ガーディアン紙)

スコットランドのミュージシャンにアラブ・ストラップが愛国のプライドを与えたこと、過激なモグワイ初期、そしてなぜ今もスコットランド独立のために戦っているのかをモグワイ・ギタリストが回想する。

スチュアート・ブレイスウェイト自伝の抜粋より「僕らにはイギー・ポップがいた」

Stuart Braithwaite: ‘Raking over the pain wasn’t the easiest thing.’
スチュアート・ブレイスウェイト 「痛みをかき消すのは容易じゃなかった」

Fri 9 Sep 2022 10.00 BST

モグワイのギタリスト、スチュアート・ブレイスウェイトの回顧録を読んで最も驚かされるのは、シーンに関わっただれひとりとして覚えていなかったということだ。彼は90年代のグラスゴーの音楽シーンにいた人々が、音楽産業界に実際にお金があった最後の時代に身を投じ、本来ならその時代全体が一つの大きなブラックアウトだったであろう状態を、全身全霊でこの本に記録している。

スチュアートの著書『Spaceships Over Glasgow』のサブタイトルは、『Mogwai, Mayhem and Misspent Youth』。モグワイ初期、13th Floor Elevatorsを聴きながらTipp-Ex溶剤を嗅ぐなどその狂気は収まらない。1997年に行われたモグワイ初の海外ツアー、ノルウェー公演に向かう途中のフェリーのバーではもっと酔いがまわるように酒を吸引し、数時間にわたって誰かが海に落ちたかどうかわからなくなるほどに夢中で酔った。音楽的な節目節目は酔った勢いで過ぎ去り、人間関係が悪化し、心が擦り切れていく。特に暗い場面では、ブレイスウェイトが10代の時の恋人アデル・ベセル(後の Sons and Daughters のメンバー)との別れが応え、数ヶ月にわたり幻覚がみえるほど泥酔し、自分の右手が悪魔に取り憑かれていると思い込むようになる。

46歳のブレイスウェイトは、モグワイのツアー中にベビーフードを食べた野獣のような日々を語ることに恥ずかしさは感じないが、「辛かった出来事をかき集めるのは容易ではなかった」という。「例えば、父親を亡くしたこととか、離婚したこととか......僕は自分のことを全然話さないタイプだから、変な感じだったね。でも、その後に起こった良いことやその前の良かったことを考えるんだ。」

Stuart Braithwaite.
スチュアート・ブレイスウェイト「 自分のことはあまり人に話さない」

最高の思い出は、クライド・バレーで育った10代の頃に音楽に目覚めたこと。ラジオからカセットテープに曲を録音し、学校をさぼってレコード屋へギグのチケットを買いに行き、深夜のテレビ番組でライブを見ていたという、今では失われた世界だ。モグワイのギグで最前列に立ったことのある人なら誰でも知っている感覚、つまりバンドに飲み込まれるような、肉体的興奮を呼び起こすのだ。13歳のとき、ブレイスウェイトは初めてザ・キュアを観た。「あんなに大きな音を聴いたのは初めての経験だった。ただ大きいだけでなく、音に透明感もあって、僕の中で変化が起こったと感じた 」と書いている。

数年後、1991年のレディングでニルヴァーナを目の当たりにした彼は、カート・コバーンがヴァセリンズやティーンエイジ・ファンクラブといったスコットランドのバンドのファンだったと知って嬉しくなった。当時のオルタナティブ・ミュージックでは羨望の象徴であったコバーンのサポートは、その後のグラスゴーのシーンにどのような影響を与えたのだろうか。「それは本当に重大なことだったんだ。グラスゴーのシーンには2つのグループがあって、ロンドンに移って何百万枚もレコードを売ろうとするグループと、パステルスやティーンエイジ・ファンクラブ派のグループがあった。で、勝ったのは『グラスゴーに残ってパステルスのようになる』世界観だった。自分たちをどのように見せてやっていくのか、は本当に大事なことだと思う。僕が自分の音楽を作り始めたとき、『自分には絶対無理だ』とは思わなかった。だって僕みたいな考えの奴らが既にやってたからね。」

ブレイスウェイトのゴス少年時代に聴いていたダークで崇高なバンドや、ダイナミックで攻撃的な米国のインディー・ロック、ポスト・ハードコア、グランジの跳躍するギターノイズは、ベースのドミニク・エイチソン、ドラマーのマーティン・ブロックと1995年に結成したバンド、モグワイのサウンドへとフィードバックされた。(2015年にバンドを去ったギターのジョン・カミングス、マルチ・インストゥルメンタリストのバリー・バーンズは後から参加、元ティーンエイジ・ファンクラブのブレンダン・オヘアも90年代末に短い期間一緒にプレイしたことがある)。モグワイの楽曲は主にインストゥルメンタルであり、攻撃的なほどの大音量と悲痛なまでの繊細さを併せ持つ。モグワイは、グラスゴーのライブヴェニューである13th Note(そこの出演契約交渉担当 には、後にフランツ・フェルディナンドのアレックス・ハントレーや作家デヴィッド・キーナンが含まれていた)や、デルガドスが運営し、ビズやアラブ・ストラップ、そしてモグワイのレーベルであるケミカル・アンダーグラウンドなどをベースにしていた個性バラバラで混沌としたバンド集団の中核となる存在であった。

その激しく溢れ出す才能は、非常にイギリス的な90年代の主流派インディーズに対抗するものとなった。ブレイスウェイトにとってブリットポップは、「僕たちが大切にしている全てに対する、完全なアンチテーゼだった。想像力も、美しさも、視野にも欠けていた。」彼はその考えを、モグワイの「blur: are shite」とプリントしたTシャツから、「人々に聴かせられる音楽を作ろうと考えるのではなく、自分たちが雑誌の表紙を飾りたいからバンドに入ることを選ぶような奴らに対する聖戦」を宣言したNMEの最初のインタビューまで、機会があれば人々に知らしめていった。

Mogwai in 2001 … (from left) John Cummings, Martin Bulloch, Stuart Braithwaite, Dominic Aitchison and guitarist Barry Burns.2001年のモグワイ...(左から)ジョン・カミングス、マーティン・ブロック、スチュアート・ブレイスウェイト、ドミニク・エイチソン、ギタリストのバリー・バーンズ

この本でブレイスウェイトは、アラブ・ストラップの1996年のデビューアルバム『The Week Never Starts Round Here』を「スコットランドで育った僕の体験をきちんと映し出しているものを聴いたのは、おそらくこれが初めてだった」と述べている。その後、トワイライト・サッド、グラスヴェガス、フライトゥンド・ラビットなどのバンドは、自分たちのアイデンティティに自信を持つようになった。それ以前はどうだったか、彼は言った。「スコットランド内でさえ、プロクレイマーズがスコットランド訛りで歌ってるのって完全に笑える、と思っていて...自分達の話し言葉と同じように歌うことを恥ずかしがるだなんて、国民精神、どうなっているんだと思うね。」

90年代は今よりも珍しかったスコットランド独立派の家庭で育ったブレイスウェイトは、2014年のスコットランド住民投票では独立賛成キャンペーンに自身の表明や音楽を提供し、2度目の投票がニュースになりそうな今、確固とした態度表明をしている。「スコットランド人全員、この保守党総裁選をしっかり見て欲しい」「こんな人達に我々の国を任せていいのか?...我々にはここから出る選択がある。必ず成功させよう。」と彼は7月にツイートしている。

音楽に集中していた90年代には、スコットランド独立は彼や彼の仲間たちにとって優先事項ではなかったが、今では「ここで知っているミュージシャンで独立派でない人は、おそらく指2本で数えられると思う」と彼は言う。「民主主義はスコットランドまで行き届いていないし、僕らが生まれる前から一度も保守党に投票したことがないのに、保守党に支配されてきたという事実を考えると、なんだか落ち込む。間違いなく独立反対論は2014年の時よりもずっと脆くなったと思えるんだよね。」

モグワイは、広い意味での独立にも全力で取り組んでいる。メジャーレーベルと契約したことがない彼らは、2010年から自分たちのレーベル、ロック・アクションからアルバムをリリースし、2005年には自分たちのスタジオ、キャッスル・オブ・ドゥーム Castle of Doom を設立している。「人生のあらゆる場面で、自分のやることはできる限り自分でコントロールするよう、みんなにアドバイスしたい。ひどい失敗をしたときに、自分自身がそのひどい失敗をやったんだと分かった方がいい。」とブレイスウェイトは言う。

最近アラブ・ストラップやザ・デルガドスが音楽界に復帰したことは喜ばしいことだが、モグワイは決して立ち止まらなかった。最新アルバム『As the Love Continues』は昨年マーキュリー賞にノミネートされ、初めてイギリスのチャートでトップに立った。7月にはApple TV+の犯罪ドラマBlack Birdのサウンドトラックをリリースし、すでに未発表の別の作品にも取り掛かっているところだ。そして、グラスゴーでは音楽は今も盛りあがっている。「音楽がきっかけで移住してくる人も多いんだよ。」とブレイスウェイト氏。「インターネットが普及したことで、コミュニティーの部分でのつながりが強くなっていて、変わり者同士が簡単に出会えるようになっている。」

モグワイの変わり者の絆は今でも強く、エイチソン(ドミニク)とブロック(マーティン)はこの本を全部読んで認めてくれたとブレイスウェイトは言う。「編集者に持っていくずいぶん前の段階で渡したから、奴らに『これ誰かに目を通してもらえよ』とか言われたよ。マーティンには電話をかけて聞きまくった。おそらくインターネットより助けてもらったはず。それで彼は「真実(The Truth)」っていう自分の本を出すからな、ってずっと冗談を言ってるよ。」

Mogwai in 2006.Mogwai in 2006.Mogwai in 2006.

バンドはフェスティバルの日程を終えたばかりで、本を書くことで自己管理力を高めたブレイスウェイトは、来年は「とんでもない量の音楽を書いてみる」つもりだという。さらに先を見れば、本のタイトルにもなっている「他の惑星に住む」という幼いころの夢もまだ持ち続けている。スコットランドで唯一の望遠鏡製作者でアマチュア天文学者、息子に星を観測することを教えた彼の亡き父の、優しく自由な発想を持ったその存在がこの本の中に強く表れている。若き日のブレイスウェイトとエイチソンは 、90年代半ばに相次いだUFOの目撃情報を証明するためにスコットランドのフォルカーク近郊のボニーブリッジで開かれた市民集会で、アラブ・ストラップのエイダン・モファットとマルコム・ミドルトンに初めて出会うという奇妙な偶然に見舞われる。この本の中で彼は、ジミ・ヘンドリックスがやったように、モグワイのライブ中に音楽に引き寄せられ宇宙船が出現するのを監視する人を雇うかもしれないと考えている。ということは、彼はまだ信じているのだろうか?

「ああ、今まで以上にね!」と彼は言う。「これまでの人生で、疑心暗鬼になる時期があったけど、数年前のニューヨークタイムズのUFOの記事を見て、すぐその考えに戻った。まあ、それが何であるかは分からないが、奇妙なものが飛び交っていることは間違いない。」

太陽系の外に知的生命体が存在するかの確認を我々が待っている間、Spaceships Over Glasgowは、ブレイスウェイトのように空を見上げるのを絶対に止めない音楽に魂を誘拐されたすべての人々に、安らぎとインスピレーションを与えるだろう。


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