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ミクロネシア

ミクロネシア、という国ご存知でしょうか。

グアムから飛行機で2時間ほど、(かろうじて北半球の)赤道に沿って点在する670もの島とサンゴ礁からなる、小さな連邦国。

オセアニアという地域のイメージである一面青のサンゴ礁と、赤道直下のイメージであるジャングル。島にはゆっくりとした時間が流れる。

そんな国に、私は大学のプログラムで昨年二週間ほど行きました。
行った人たちは口をそろえて「最高の場所」「一生あそこにいたい」と話す場所。私も、未だにもう一度いけるなら行きたいと思う場所であるし、あの時の気持ちを忘れたくなくて、一年近くたった今、言葉に起こしてみたりしています。それくらい素敵な場所。

とはいえ、都会っ子の私にとっては12日間のうち9日は「この環境の何が最高なの?」と思っていました。
行くまではとにかく海のイメージで溢れていたのに、実際は山のジャングルの方ばかりで獣道やらなんかようわからん遺跡やら、とにかく草をかき分けかき分け、まるで某世界の果てまで行っちゃう番組のような世界。

いつでも隣には虫、シャワーは水、常にビーチサンダルで、基本は何もない。特別何か食べるものが美味しいとかでもなく、インターネットはつながるから不便はなくて、それが逆に物足りなく感じてしまったり。(いっそインターネットもつながらない方が世界の果て感があった。)

とはいいつつも人間の慣れというのは恐ろしいもの。
ものの1週間がたった頃から、なんとなくそこで過ごせるようになっていました。
小さな虫は無視すれば何もしてこないから、もうあきらめて鈍感になって、周りをあまり見ないようにすればいい(見つけちゃうと気になっちゃう)し、シャワーやトイレは寮のお掃除してくれる時間をつかんでその直後を狙っていけば割とキレイに使えることも学習するし、鍵の不具合は寮母さんに身振り手振り伝えればなんとかなるし、そもそも誰も物は取ったりしないし、ご飯は自分が食べれそうなモノを選べば大体外れはない。
なんだかんだ、人間は適応できるんだと感動しました。
あきらめも肝心、自分の当たり前と違う事を拒否するのではなく、「え~い」と郷に入っては郷に従えができるかが、多様性や共生には必要なマインドなのかも。

もちろん、外を歩いて自分たちが泊まらせてもらっている大学の寮がこの国ではとても整備された場所だと気づいたことも大きいでしょう。
決してこの国は裕福な国ではありません。

自然と発展とはどうしても相反するもの

私がこの国で感じたことの一つです。

ジャングルばかりの毎日でしたが、一日だけ、無人島のサンゴ礁に連れて行ってもらった日がありました。
本当にきれいでした。青が透き通って、海底が見えて、サンゴの環礁だから、波が打ち寄せず、湾のような静けさがあって、潜るとカラフルな魚たちが泳いでいて、歩いて2,3分で回り切れてしまうような島というには小さすぎる陸には緑があって。人の手が全くついていない、生まれたままの自然。
「神様が作ったときの始めの地球はこんなにも綺麗だったんだ」と思わされました。人生で一番きれいな海、はこれ以上ないだろうと予感しました。
同時に、この姿はどれだけ私たちが尽力して環境保護やエコな開発をしたとしても再現できるものでは無いと直感しました。

人間がいるというだけで、自然は破壊せざるを得ないのです。私たちが生きるというのはそういうことで、食物連鎖の中に人間が配置できないように、生態系というものから人間の文明や暮らしというものが離れたものなのか、気づくまでもなくまざまざと思い知らされました。

環境問題に少なからず関心があった私は戸惑いを隠しきれませんでした。環境保護だなんだと声高に叫ぶことすらも人間のエゴなのではないかと思うからです。極端なことをいえば、本当の環境保護のためには人間が絶滅するのが一番という考えすら浮かびます。

一国としての経営と幸せ

自然と発展という地球規模のマクロな話の一方で、ミクロネシア一国においても矛盾を抱えていることも知りました。
自然豊かでゆったりとした印象のこの国にアメリカと日本の歴史と政治の影響が色濃く反映しています。

第一にミクロネシアは第一次世界大戦のころ日本の統治下にありました。

その関係から、ミクロネシアには日本語を話せる方がたくさんいます。私が行ったミクロネシア大学(college of Micronesia : COM) ではほとんどの学生が日本語を履修し、すれ違えばみな日本語で挨拶をしてくれるほどでした。
町にも日本のお菓子や日本製の車や家電がたくさんあり(多くは中古品)、戦争当時の戦車が道路に放置されていることも珍しくありませんでした。

日本統治時代はミクロネシアの国自体が栄えていたこともあり、国全体として親日です。
ぴょこっとやってきた私たちを歓迎し、すれ違えば手を振り、教会にお邪魔すればミサの始めに紹介をされ、ホームステイをすれば近くの親戚やら友達やらを呼んでパーティーを開いてくれて、昔の話や日本語がちょっと話せることや未だに単語として残っていることを自慢げに話してくれました。

また日系の方が多く、身近な住人から大統領クラスの人までモリさんやらスズキさんやらなじみの多いお名前。
さらには驚くなかれ、日本の鰹節やまぐろの最大の漁場はこのミクロネシア近郊なのです。

ミクロネシアという国は非常に日本と距離が近い国。
それなのに、そのことを私たち日本人の何%の人が知っているんだろう。
何かアクションをとるとかそういう以前に、歴史やその国、そこにいる人たちの存在自体知りすらしなかったことに強い疑問を感じました。


そしてもうひとつ、アメリカとの関係について。
終戦後、ミクロネシアはアメリカの統治下となり、現在はアメリカと自由連合関係にある国です。
自由連合関係とは、独立するには国力がない小さな国をアメリカが経済的に支援する関係のことで、代わりにミクロネシアの外交権と国防権はの一部はアメリカに譲渡します。これがなにかというと、ミクロネシアは雇用がないので、若者の多くが米軍に入隊するのですが、彼らの多くが危険な地域へ派遣されます。それは間違いなく捨て駒の可能性を大きくはらむということです。

この自由連合関係という制度そのものにも疑問を感じざるを得ませんが、アメリカからの支援がなければ国としてやっていけないというのも自明の事実。かつ、この自由連合関係は2023年までの契約となっていて、この国は選択を迫られる時期にきています。(さらに最近はその契約失効時期を見計らってここにも中国の手が忍び寄ってきているという、歴史上のような利権の争いがすぐそこに迫っているのです。)

国として成り立つための産業や発展は、先に書いた通りこの国の豊かな自然やゆったりとした文化を犠牲にせざるを得ないでしょう。実際に、雇用や教育の壁、生活の厳しさから自殺を選ぶ人が少なくないそうです。

この国の自由のための「発展」はこの国の幸せといえるのだろうか
島しょ地域は大国の利権リゾート地ではないはずです。
でも、先進国が世界を動かしてしまっている現状、そこで決められたルールで戦うにはあまりにも不利なことも事実です。
反対に、私たちが失ったものを引き換えに、この国に貧しさを押し付けることはそれ自体また先進国のエゴともいえる発想ではないか。

この国にとって何が幸せでなにが正解なのか、私はわからなくなりました。
それは先進国と途上国という関係性や多くの支援や発展に対しても、また自分たちの日本という国の抱える問題についても同じことが言えるでしょう。

私たちは何をもって「幸せ」であり、「豊か」であるといえるのでしょうか。21世紀は、改めてそこを考えなおす必要に迫られているように思います。以前とは変わってきたはずです。考え直さずに、今ある豊かさを正しいと思いこんでしまえば、おそらく、利権の争いがまた起こるのではないでしょうか。もっともっと自分の富や権威を示そうとして、均衡が崩れそうな気がしていて、今まで見て見ぬふりをしてきたあらゆる問題が噴出するときに、この世界は助け合うのではなく、押し付けあってしまうのではないかと思います。そのしわ寄せはこうした島国、そしてそれは日本も例外ではないだろうと、ミクロネシアの問題を考えていてぞっとしました。

ミクロネシアが教えてくれたこと

豊かな自然と温かな人間関係があって伝統的な文化があって、その一方でどうしようもないような大きな問題をはらんでいて、その国を知るということはとてつもなく難しいことです。

行ったからすべてを知れたわけではないし、たかだか二週間ですし、軽率な言葉に聞こえるかもしれませんが、それでも私はミクロネシアに行ってこの国のことを知れてよかったと思っています。少なくとも、普通に暮らしていれば、ミクロネシアのミさえ知らないままの日本人でした。授業でなんどもきいた持続可能な開発、国際開発、国際貢献、ニュースで耳にする協定、サミット、環境問題、エコ、といった言葉の意味を考えたり疑問に思ったりすることさえしなかったでしょう。

とはいえ考えたところで何かできるわけではありません。
ただ、こんなにも素敵な国があるということ、そのなかで少なからず困っている人がいること、そういう人が自分たちに遠い存在ではないということ、そのことを知ってもらうこと、知ったときに痛みを感じられること、そうしたつながりが大事ではないかと思うのです。

人と比べずに自分の幸せを追い求めていこうという話は、
自分が良ければいい、他は知らない、ということではないはずです。
人は自分が幸せであっても周りの人が幸せでなければ、自分の今の状態が「幸せ」とは思えないそうです。

ミクロネシアにいって、私には友達ができました。
大学に通うその子は卒業後日本の大学に留学すると言って私たちは再会を約束しました。
この国のことを、もっとたくさんの人に知ってほしいと思います。
そうしてすこしずつ皆にとっての世界が近くなっていけば、この世界はもっと豊かに幸せになるんじゃないかと、ミクロネシアからヒントをもらったように思います。



今日のBGM

ここにいない誰かのために
今 なにができるのだろう
みんなが思えたらいい
自分の幸せを 少しずつ分け合えば
笑顔はひろがる
乃木坂46 / Sing Out !


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