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好きなものがわからなくなる話

インターネットには超お世話になっている。
困ったら人に聞くよりインターネットの方が早い。嘘もあるから気をつけないといけないんだけど、どうしても私の生活はネット頼り。
ハンバーグってどうやって作るの、書類の書き方わかんないな、この前見かけたあの服はどこで売っているの。

SNSもすごい。電車の遅延情報とか、地震情報とか世の中で起きていることをテレビよりも新聞よりも先に知ることができる。
いつも大小問わず波が立っている海みたいだな。
砂浜にいて、波に乗って届いたものの中から気になったトピックを拾っていく作業というか。

拾い続けていると自分のちいさなキャパシティでは処理できないくらいに情報があふれ、好きなものやことが分からなくなることがある。
好きなことにおざなりになる感じ。
好きなことなのにどうでもいいみたいな。

現実の場で一緒にいる人たちから自分の好きなことを教えてもらえるときがある。

一緒に洋服を見に行ったとき、「こういうの好きかなと思って」と素敵なお店に連れて行ってくれた。ドストライクだった。超好きなのに忘れてたなあ。

他にも刺繍を去年からやっているんだけど、作業中は何も考えなくていいし形になるしで続けていて、その日は実家で他にやることもないからなんとなくチクチクしていたら母が「刺繍好きなんだね」って言ってくれた。

変な話だけど、その場で初めて自分が刺繍が好きだということを認知した。

先日写真家の友人の個展に顔を出した。
彼女が写真を販売しているとのことでその中から自分が手に入れたい写真を選んでいたときに、いいなあと思ったのがたまたまぜんぶ花の写真だった。
どれを買おうか悩んでいるときに「かほさんお花好きですよね」と言われてハッとした。
正直これに関しては自分は花が好きだと自覚できて安心に近かった。好きだからって詳しいわけではないし、たくさん買っているわけでもない、そんなレベルで好きと言っていいのかと悩んでいたから。それでも好きでいることは間違いではないというか、好きということ自体はいいことなんだ、私花が好きでいていいんだと、友人はそこまでの意味を持って言ったわけではないだろうけど、なんだか全肯定されているような気までしてしまった。ちなみに彼女らしいとても素敵な作品たちだった。持ち帰った写真をどこに飾ろうか考えている。うーん。

たくさんの情報の中にいると自分の好きなものを知らないうちに手放しかけてしまうけど、現実の場で誰かと話すことを通して自分のパーツを見つけられることがあって、そういう機会を大切にしたいなと思った話。

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