なぜ東京藝大はピアノを撤去し、秋元康氏を招聘したのか

数日前、twitterで以下の投稿が話題になった。




この投稿についての反応は以下のとおりだ。

東京藝大は学費が上がった一方で、ピアノが撤去されるだけではなく、生協が消え図書館の購入費まで削減されていた - Togetter

東京藝大は、言わずと知れた、西洋クラシック文化の担い手の育成機関として、日本でも有数の学校だ。その東京藝大が、学生が練習に使うグランドピアノを撤去する一方で、海外では児童ポルノ的とも言われているAKBグループのプロデューサであり、世界的人気を誇るBTSに歌詞を提供するプロジェクトが発表されるや男尊女卑的としてファンから抗議され取りやめとなった秋元康氏を客員教授に任命したことが問題視されたわけだ。

別に東京藝大の肩を持つわけではないが、なぜそうなったという理由は分かる。例えば、以下の論文で指摘されたとおり、日本に於いてクラシック音楽演奏家を志望する人口が激減しているからだ。

Microsoft Word - 安積京子 愛媛大学教育学部紀要論文 2019.11.25 参考文献表記の修正.doc (ehime-u.ac.jp)

上記の論文からグラフを引用させていただく。例えば、日本における大学音楽学部の卒業生は以下のとおりだ。

さらに、日本と中国におけるピアノの生産台数を見れば明白だろう。1960年代から上昇し続け、1990年代初頭にピークに達した日本のピアノ生産台数は、今や60年代以下だ。一方、21世紀に入って経済成長著しい中国と比較すれば、さらに鮮明になるだろう。

二番目のグラフで見た通り、60~90年代、基本的に経済成長著しく、分厚い中間層が生まれた時代の日本において、ピアノは豊かさのシンボルだった。その豊かさが「失われた30年」において、カワイやヤマハといった世界的なブランドを有しているにも関わらず、生産台数が激減したのは、日本全体が衰退しているからにほかならない。

とはいえ、これは日本だけの現象ではない。本場ヨーロッパにおいてもクラシック音楽の人気は低調で、演奏志望者数も減っているという。世界的に有名な音楽コンクールの上位は、今や中国、韓国、台湾、日本などのアジア出身者か、欧米在住のアジア系が占めている。

東京藝大の音楽部門の前身である東京音楽学校は、明治20(1887)年、文部省・音楽取調掛だった伊沢修二らの建白で開校した。「取調掛」という職名が示す通り、伊沢らの役目は、西洋文明における「音楽」を調査し、それを日本に根付かせることだった。幕末に結ばされた欧米列強との不平等条約を改正するため、文明国として認められたい明治日本にとって、芸術の分野においても「西洋」の輸入は急務だった。

そうした沿革を持つ東京芸術大学の音楽部門が、日本独自の「アイドル文化」を担ってきた秋元康氏を迎えねばならないほど、志願者数が減っている実情は(いうまでもなく大学にとって受験料は収益のうち無視できない部分を占める)、ある意味で、明治以来の存在意義(欧米化)を失っていることの証左であるとも考えられる。
なお、東京藝大の音楽部門の受験者数の推移は分からなかったが、美術学部については、こんな図表が見つかった。


もちろん、ここで示された数字が、音楽部門にもあてはまるかどうかは分からないが、ある程度の参考にはなるだろう。

もともとクラシック演奏家への道はかなりの狭き門だ。私は門外漢だが、東京藝大を卒業し、演奏家として活動していたピアニストにこんな話を聞いたことがある。
東京藝大ピアノ科卒業生のうち、日本演奏家名鑑に名前を載せられる人は、年に1人だそうだ。彼女は東京藝大の学生寮に入ったが、寮生のほとんどが掃除や洗濯、炊飯といった基礎的な家事ができない事に驚いた。そのくらい、藝大に合格するだけでも、生活のほとんどを練習に捧げねばならない。にも拘わらず、卒業生のほとんどは卒業後、ピアノ塾で教えるなど、演奏以外で生計を立てているらしい。
下品な言い方だが、コストパフォーマンスとして効率のよい進路先ではないのではないか。

その意味で、東京藝大だけでなく、多くのクラシック音楽家養成機関にとって、相続しうるかどうかの曲がり角にあるのが、現在の日本だと言えそうだ。個人的には、たとえそれが公費で支えられねばならないとしても、古典文化を存続させることは、国家としての文化的な分厚さという意味で、決して無用ではないと思う。
とはいえ、日本経済が衰退し、国の教育費をはじめ、文化にかける公費が削減される一方な現在において、特に西洋の古典文化の輸入を主目的として設立された教育機関は、その在り方を見つめ直さねばならない時に来ているのではないか。

というのは、これは私がこの件をネットで眼にした時の脊髄反射的感想だが、東京藝大が秋元康氏を招聘したのは、従来のクラシック路線とは異なる方向(例えばアイドル文化)にウィングを広げようと言う意図があっての事ではないかと思ったからだ。

結果的にそれは、ネット検索した限り、勘違いでしかなかった。東京藝大のホームページには秋元康氏の名はなかった。過去の関係性をネットで調べても、例えば藝大内でのコンクールの審査員を務めたり、イベントにAKB48のメンバーを出演させる程度の、失礼な言い方をすれば「客寄せパンダ」的な役割をのみ果たしている記事しか見当たらなかった(以下のリンク参照)。

ゲスト審査員特別賞一覧 | 東京藝術大学 (geidai.ac.jp)

AKB48タイムズ(AKB48まとめ) : AKB48選抜メンバーが東京藝術大学での秋元康イベントにサプライズ出演!ウィンドオーケストラの生伴奏で5曲披露!!(セットリストまとめ) - livedoor Blog(ブログ)

もちろん、秋元康氏がプロデュースしてきたアイドル文化が、それなりに伝統のある東京藝大において何らかの意味を持つとは考えにくい。たとえばAKB48のメンバーは、きちんとした育成機関を経ることなく表舞台に立っていたことは、次の引用からもうかがえる。

総選挙中止から見るAKB48の曲がり角──AKB商法の機能不全、「パンドラの箱」だったK-POP進出(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース


武藤十夢「うちら、1ヵ月とかで(ステージに)出てるよね」

篠崎彩奈「ボイトレなんて、一回もしたことないし(略)研究生が基礎練習やるわけでもないじゃん。先生がいるわけじゃなくて、自分たちでやるし」

小嶋真子「先輩を見よう見まねでやってた」

出典:Mnet『PRODUCE 48』第1回/2018年6月15日

「1ヵ月とかで(ステージに)出るよね」というAKBグループのアイドルが、幼児から生活のほとんどを練習に費やしてきた東京藝大の学生に、何らかプラスの効用をもたらすとは、とても思えない。それでもなお、私が一瞬でも、秋元康氏招聘に新たな可能性を見出したのは、秋元氏がかつて、韓国のKPOPの世界とのコラボレーションをした経験があるからだ。

2018年、韓国の音楽専門チャンネルMnetが企画した、アイドル・オーディション番組「PRODUCE48」は、韓国のアイドル候補生と、日本のAKBグループの現役アイドルが参加し、さまざまな課題をこなす様をテレビ中継し(練習や寝室でのプライベートな場面も含めて)、視聴者投票で選ばれた12人がアイドルグループを結成するという、いわゆるリアリティ番組だ。

番組のはじめ、「ボイトレなんて、一回もしたことな」く「1ヵ月とかで(ステージに)出」ていたAKBのアイドルたちは、基礎的な実力不足を指摘され、脱落していった。それでも、宮脇咲良、本田仁美、矢吹奈子の3人が12人のなかに生き残り、期間限定のアイドルグループ「IZ*ONE」のメンバーとして2年半、日韓で活動した。「IZ*ONE」は数多くのヒットを飛ばし、日本人メンバーも韓国で愛され、成功裡のうちに活動を終了したが、そのメンバーの多くは、新たに作られたアイドルグループ・メンバーや、ソロ歌手として活躍している。


上に挙げた宮脇咲良、本田仁美、矢吹奈子に限らず、多くの日本人がKPOPの世界に飛び込んでいることは、周知の事実だ。昨年の紅白歌合戦には、「TWICE」「IVE」「LE SSERAFIM」と、3組のKPOPアイドルグループが出場したが、いずれも日本人メンバーが含まれている。

そのなかで、今回、特にクローズアップしたいのは、「LE SSERAFIM」だ。まずは、彼女らが昨年末、「SBS歌謡祭」という、日本で言えば年末の紅白歌合戦のような番組(韓国では各局で同じような番組が催される)に出演した時の動画を見ていただきたい。


最初に髪を切るパフォーマンスをやったチェウォンは、かつての「IZ*ONE」メンバーだ。歌唱力は評価が高かったが、個性豊かなメンバーのなかでは存在感が埋もれがちだったが、今やリーダーを務めている。
続いて、ビゼー作曲のオペラ「カルメン」の「ハバネラ」を熱唱する金髪の少女ホ・ユンジンは、アメリカ育ちの韓国系アメリカ人。かつて声楽を習っていたらしい。
続いて、白いスカート(バレエ衣装のチュチュ)をまとって踊るのは、カズハ。「中村一葉」が本名の日本人で、オランダでバレエ留学中、KPOPに興味を持ち、オンライン・オーディションを受けて合格、韓国に渡った。
そして、Tシャツを破って現れた16歳のホン・ウンチェに続き、前述の「PRODEUCE48」でしばしば実力不足を指摘され泣きながらも努力と人柄で「IZ*ONE」メンバーとなり、その後も韓国で活動する宮脇咲良と続く。

韓国の年末の歌謡祭は、日本の紅白歌合戦のように、「時の人」や「お笑い芸人」による賑やかし(そのため肝心の出場歌手は本来より短いバージョンしか披露できない)はない。ひたすら出場したアーティストたちをクローズアップする。
上に挙げた動画は、この時SBSの番組のために用意した特別なパフォーマンスだ(他の局の年末歌謡祭では、別の特別パフォーマンスを披露する)。そのパフォーマンスが、クラシックの古典「カルメン」をモチーフにしたことは、意味がある。この「LE SSERAFIM」というグループ名は「私は恐れない(IM FEARLESS=私は恐れない)」のアナグラム(並び替え)だからだ。「カルメン」のヒロインは自由奔放に恋をした挙句、かつての恋愛相手に殺される。それを受けるかのように、別の番組に出演した「LE SSERAFIM」の宮脇咲良は「私の首を切ってみて」と挑発するように言う(0:12~)。


この二つの動画を見た、私個人の感想は、KPOPがなぜ、世界的にヒットしているかの理由がここにあるというものだ。

一つは、普遍的な人権の問題。韓国では、アメリカ発のMeTooムーブメントが活発に行われていることは周知の事実。かつて日本並みだったジェンダーギャップ指数もかなり順位をあげた。『82年生まれのキム・ジヨン』が日韓でベストセラーになったように、韓国のフェミニズムは、日本にも多大な影響を与えつつある。
KPOPのグローバルな成功は、そのビジュアルやスキルの高さから報じられることが多いが(決して間違いではない)、その根底にあるのは、普遍的な価値観だと思う。BTSのグループ名は本来「防弾少年団」であり、理不尽な世界から、弱い立場にある者を守るという意味が込められている(コロナ禍で不自由を強いられている人々に「踊るのに許可なんていらないさ」と歌ったように)。
「LE SSERAFIM」は、BTSと同じ音楽レーベルHYBEの系列にある。兵役の問題で事実上、完全体での活動休止を余儀なくされているBTSに代わるガールズグループとして、HYBEが「LE SSERAFIM」に、一部をのぞいて世界的にはマイノリティの立場に置かれている女性を、エンパワーメントするグループとして発足させた事は、容易に推測できる。

もう一つは、クラシック声楽を学んだホ・ユンジンや、オランダにバレエ留学していた中村一葉を選んだように、古典的芸術を取り入れる、否、新たな「古典」を創造しようとする、KPOPの志の高さを指摘したい。以下に掲げるのは、結成されて9年目と、アイドルグループとしては中堅~ベテランの域に入った、レッド・ベルベットが昨年発表した「Feel My Rhythm」のミュージック・ビデオだ。

この動画には、多くの古典からの引用がなされている事は明らかだ。ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」、クロード・モネの「日傘をさす女性」、そしてヒエロニムス・ボスの「快楽の園」といった古典絵画が引用され、鳥の扮装をしたバレエ・ダンサーが彩りを添える。
そうした伝統的「古典」を取り入れつつ、彼女たちは歌う。「私たちをプライドと偏見で縛らないで」。いうまでもなくビクトリア朝イギリスの古典的家族観を描いた女流作家ジェーン・オースティンからの引用だ。

ヒエロニムス・ボス「快楽の園」


クロード・モネ「日傘をさす女性」


ジョン・エヴァレット・ミレー「オフィーリア」


上に指摘した引用だけでなく。そもそも曲そのものが、バッハの「G線上のアリア」の現代的アレンジだが、クラシックをポップスに変換することじたいは、例えば日本でも、ベートーベンの「エリーゼのために」を歌謡ポップスにして大ヒットしたた「キッスは目にして」(1981年)などの前例がある。

そうした前例と異なるのは、KPOPの多くの曲が、古典の、メロディーとか歌詞とかビジュアルと言った単一要素を借りるのではなく、その本質を取り入れ、新しい文化を創造しようとする野心だ。

上にあげたレッド・ベルベットの曲では、ダンスの振り付けが、ポップスの枠内ながら、モダンバレエの要素を取り入れている。
これは、この曲独自のものではない。多くのKPOPのパフォーマンスにおいて、モダンバレエ的な要素が盛り込まれていることは、以下の二つの動画を比較してもあきらかだ。

上は「LE SSERAFIM」が韓国の音楽祭MMAで披露した「FEARLESS 」と「ANTIFRAGILE」のパフォーマンス。下はモーリス・ベジャール・バレエ団が2017年の日本公演で行った「ボレロ」。

ポップ歌謡ではしばしば、バックダンサーは、ダンス技術の高くないソロメンバーの盛り上げ役として活躍する。だが、上の二つのダンスを見る限り、「LE SSERAFIM」メンバーと、モーリス・ベジャール・バレエ団のソロ・ダンサーの間にスキルの差はない。あるのは、ビジュアルも含めた「カリスマ」だけだ。
両者が混然一体となって、一つの世界を作り上げる。それは、オーケストラだったり、歌舞伎における役者と囃し方だったり、古典と呼ばれるものが常にとってきた手法だ。

そもそもクラシック(古典)は、例外なく、その発祥においてはポピュラー・カルチャーだった。ポップ・カルチャーのうち、その時々の流行を越えた魅力を持つジャンルが、古典として定着し、そのなかで普遍的な価値を持つ文化が「世界的な古典」となる。

日本の隣国で、ポップ・カルチャーを、やがて「世界的な古典」に育てる試みが始まっているとしたら、日本のクラシック界が、日本発の「古典」を生み出すための参考になるはずだし、それを学ぶことは、クラシック・パフォーマーの養成機関にとっても、大きな意味を持つはずだ。

秋元康氏にはぜひ、その橋渡し役となることを求めたい。

【追 記】
上に挙げたレッド・ベルベットが所属するSМエンターテインメントの筆頭株主に、BTSやLE SSERAFIMを傘下におくHYBEがなったと報じられた。レッド・ベルベットのクラシック路線が、さらにワールドワイドに進化することを期待したい。

BTSなど所属の韓国大手芸能事務所「HYBE」、東方神起ら所属「SM」の筆頭株主に Kポップ市場に大きな影響(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース


【追記2】
レッド・ベルベットの「Feel My Rhythm」MVで反映させたクラシック作品について、より詳しい方が解説する動画が見つかったので、貼っておきます。


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