南夕子退場まで残り2回と関係なくウルトラ5兄弟銅像になる/『ウルトラマンA』覚え書き(26)

南夕子(星光子)が第28話を最後にドラマから離れてしまうまで、残すところ3話となった。

この頃、『ウルトラマンA』の「番組延長に関する強化案メモ」なる文書が作られている。1972年4月7日に放送開始された『ウルトラマンA』(全52話)は、今回紹介する第26話(9月29日放映)でちょうど折り返し点を迎えていた。「強化案メモ」の表題にある「番組延長」とは、メモの本文に「十月からの延長を考え合せ、制作費のアップを御検討していただきたい」とあり、九月いっぱいでの打ち切り、あるいは制作費の大幅ダウンなどが検討されていたらしい事が暗示されている。

簡単に円谷プロ制作の特撮シリーズを振り返ってみよう。1966年1~7月に放映された『ウルトラQ』は、全28話で平均視聴率は32.4%を叩きだした(ニールセン調べ)。最低視聴率でさえ26.9%、最高視聴率は39.2%だった。この成功を受け1966年7~67年4月放映の『ウルトラマン』は、平均視聴率36.8%、最高視聴率42.8%、最低視聴率でさえ29.4%の、まさにお化け番組だったのだ。次の『ウルトラセブン』(67年10~68年9月)は、視聴者の記憶に残る神回を数多く作ったものの、やや大人向けの作りが災いしたか、平均視聴率は26.5%、最高視聴率は33.8%だったが、最低視聴率は16.7%だった。特に後半の息切れが目立った。

いったん、超人と怪獣が戦うシリーズは打ち止めとなり、円谷特撮は模索期間に入る。フジテレビで放映した1時間ものの海洋アクション『マイティジャック』(68年4~6月)は、初回が11.3%と大惨敗で、途中から30分に縮小し「戦えマイティジャック」と改題したが低迷に歯止めがかからず、最終的には平均視聴率8.3%、最高が11.8%、そして最低視聴率はなんと5.5%だった。その後、TBSに戻って製作した、様々な怪奇現象とそれにまつわる人間ドラマを描く『怪奇大作戦』(68年9~69年3月)は平均視聴率22%と、当時のテレビ番組としては合格だったが、なにせ、30%超え回連発が当たり前だったウルトラシリーズに比べると物足りず、1クール(当時は半年)で打ち切りとなった。

『ウルトラマンA』の「番組延長に関する強化案メモ」が示唆するように、円谷特撮といえど、視聴率次第では途中打ち切りという事態も、十分にあり得たのだ。

後がなくなった円谷プロが、原点回帰をはかったのが『帰ってきたウルトラマン』(71年4~72年3月)だった。前半戦は視聴率10%台が続いたが、後半盛り返し、最終回は29.5%と最高記録を叩きだした。平均視聴率は、前半の低迷を受けて22.7%だったが、やはり超人と怪獣の戦いは受ける、と手ごたえを感じさせた。かくして、『ウルトラマンA』は多大な期待を受けて始まった。だが、初回に28.8%を叩きだしてからは第2話22.6%、第3話17.8%と急落し、なかなか巻き返せず、前半26話までの平均視聴率は18%だった。ただ、第23話で19.9%、24話20.3%、25話18.5%、そして26話は22.8%を記録するなど、皮肉な事に、南夕子を演じる星光子が「暇していました」とブログに綴る回が増えるに従い、視聴率は回復していったのだ。

『ウルトラマンA』第26話/全滅!ウルトラ5兄弟

脚本=田口成光/監督=筧正典

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