後悔先に立たず

 気づいたら6月も終わりを迎えそうになり、2019年令和最初の1年が半分終わりを迎えています。バイトに向かう電車の中で思ったのは時間は平等なのか。そんなことが脳内でぐるぐるしてるのでつらつらと書いていこうかと。思います。

 時間の流れはいつでも平等なのでしょうか。と言う問いに対してみなさんはなんと答えるのでしょう。それは人それぞれだと思うので分かりませんが、私は「はい。そうです」とは答えません。もちろん1秒は1秒として誰にでも平等だし、1分は60秒で1時間は60分で1日は24時間…。それは平等ですが、これはあくまで人間が後から付け加えた概念です。え、ですよね。時計という文化を作った上で数字がついたと思います。

 でも、楽しい時は一瞬で過ぎるとか大学の講義の90分間は苦痛でだいぶ経ったかなって思って時計見ても20分しか過ぎてなかったり…。そんなことは日常茶飯事では?だから、時間の流れというのは不均一なんじゃないのかなって。実際に大学1年の時の6月までの感覚と大学3年の感覚は全く違います。もちろん慣れとかもあるかもしれないけど、ついこないだ始まったリーグ戦なんて瞬きしてる間に終わったし。年々時が経つのが早くなってる気がします。不思議ですね。

 なんで、不均一になるんですかね。充実度なのかなと思いました。初めは。でも、充実度だと説明がつかないのが1点あって自分が学生記者として昨年がおそらくトップレベルで充実してたのに今年の方が短いということ。そしたら、なぜ不均一になるのか。うーーーん。充実度より大事なのが盲目さなのではないかなと。没頭度合い?の方がいいか。確かに去年も没頭はしてた。でも、今年は最後の1年で、今年何かをやり残したら自分にそのチャンスは二度と来ない。そうやって年の初めに思ったら、とりあえず春は没頭できた。だから短く感じたのかな?ととりあえず終着点。さて、残すところ6季ある学生記者としてのシーズンも残り1季。後悔先に立たず。やれるだけのことをやって、没頭できるだけ没頭して、本気になれるだけ本気になって。神宮大会の決勝の夜はめっちゃうまい酒でも飲もうと思います。

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