不可解なシャイニングの点を結ぶドクタースリープ

平成生まれで20代の僕でも映画 SHINING(1980)くらいは観た。これはゆとり世代にありがちな読解能力の低下によるものかもしれないが、正直、シャイニングを何度観ても、結局理解不能な点が数多く残り、ホラーとしての恐怖感もほとんどなかった。読解能力の低下である可能性を排除できるとすれば、年代によって恐怖を与える手法も少しずつ異なってくるだろうから、80年代のホラー映画が90年代に生まれた僕には恐怖に相当しなかっただけとも言えそうだ。

本題に移る前に、SHININGで恐怖を感じなかった理由として僕が考えている、本編の理解不能だった点をまとめておきたい。

・ジャックが狂った理由
そもそもこれがわからなかったので、どのタイミングで恐怖を感じるべきなのかさえもわからぬまま映画が終わってしまった。

・ハロランがホテルに戻って来た理由
ダニーがトニーと会話するシーン、ダニーがハロランとテレパシーを交わすシーンをおふざけか何かだと思い込んでいたので、ハロランがホテルに戻るシーンは謎でしかなかった。

大きく言えば、以上が不可解なまま終わってしまった点である。
正直、この2点を疑問として頭に留めた状態でDOCTOR SLEEPを観ることができたのは、大変お得なのではないかとさえ思う。

さて、ネタバレも含んだ感想に移りたいと思うので、この先を読むことに関して、僕は一切の責任を負えない。

物語はダニーとウェンディがオーバールックホテルから下山して元の生活を取り戻そうとしているところから始まる。この場面以外にもシャイニングを再現しなければいけない場面は多く存在するが、どの場面でも、よく昔のキャストそっくりな役者を集められたものだと感心する。そして何より、ハロランが非常に重要な役として頻出する点は、序盤から僕の中であやふやに終わっていたシャイニングの物語を完璧な姿に近づけてしまった。

間違いなく、ハロランはシャイニングの話の中でジャックに殺された。
しかし、シャイニングの話の中でダニーとハロランが持つ能力が特殊なものである描写があまりにも雑に終わっていたため、おふざけかと思った僕は、ハロランがなぜわざわざ死ぬかもしれないのにホテルに戻って来たのか不思議でならなかった。ハロランは本当にダニーとテレパシーで会話をしていて、ダニーに助けを求められて飛行機でわざわざ駆けつけたのだ。そして、そのテレパシーは生死さえも超えて可能とする。それゆえに、ハロランは死してなおダニーの道しるべとなるべく、度々幽霊のように姿を現しては、ダニーを手助けしていたのだ。

ハロランは映画の中盤までダニーを助けるが、大人になったダニーを演じている役者がスターウォーズでオビワンを演じているユアンマクレガーであることも影響してか、どう見てもオビワンがクワイガンやウィンドゥとフォースで交信しているようにしか見えない。むしろこれは、スターウォーズにユアンが復活することへの伏線なのではないかと思うほどに、SFファンタジーな物語だ(実際にユアンはスターウォーズに出演することが決まっているのだがw)。

兎にも角にも、ダニーとハロランが使う超能力的なものが今回のドクタースリープの鍵になる。それに関する感想はちょっと控えめになるかもしれない。

ダニーは物語終盤でオーバールックホテルに戻ってくることになる。
物語の鍵となった超能力のせいで引き寄せられた悪を始末するために、オーバールックホテルの呪いを利用しようと試みたのだ。この時の撮影セットも、見事に再現されていた。本来このシーンは必要なかったのかもしれないが、シャイニングでウェンディとダニーが外への脱出を試みた窓のある部屋の扉。そう、あのインパクト抜群のシャイニングのジャケット写真のシーンだ。ジャックが斧で破壊した扉から顔を覗かせるあの場面を、一瞬ではあるが狂気こそ持っていないダニーが再現したのは、ホラー映画であることを忘れて笑っていた(スターウォーズのように見えてしまった時点で、やはり僕にとってはホラー映画ではないのだが)。

先ほども言ったように、ダニーはホテルを利用して悪を退治しようとしている。なぜ利用できると考えていたのか、ホテルの中のあるシーンでシャイニングと結びつき、確信へと変わった。

シャイニングでジャックが大広間のバーテンダーと会話するシーンがある。
ドクタースリープではダニーが客で、ジャックがバーテンダーとなって現れる。そう、あのホテルは、冬の間に入って来た人を獲物として取り込み、次に入ってくる人を食べるための道具にしていたのだ。これは実はシャイニングの物語でも、最後にジャックが古いホテルの写真に写り込んでいることからも察しがつくのだろうが、僕にはわからなかった。今度はジャックを手段として、ダニーを取り込もうとした。うろ覚えではあるが、このバーでの一連の流れはシャイニングに似せていながらも、カメラワークに大きな違いがあり、それが「ダニーはジャックの二の舞にならない」ことを表現しているのだと思った。

ダニーが始末したい悪をホテルにおびき寄せることに成功すると、ダニーたちの作戦は功を奏し、悪をホテルの獲物として認識させた。ここで、シャイニングでの懐かしの面々が揃い、悪を喰らい尽くしていく。喰らい尽くしたホテルに住み着く霊たちは、次に何をするのか。そう、ダニーを標的にするのだ。

ダニーは逃げる。最初はダニーも生き延びようとしているのかと思ったが、すぐに違うと気づいた。今回の事の発端に関わった瞬間から、ダニーはハロランになったのだと気づいていたからだ。それもある意味で「ダニーはジャックではない」ということかもしれない。

ダニーはボイラー室に行き、ホテルと共に焼き尽くされることを選んだ。これが、ダニーの選んだ始末の仕方だった。

ホテルに入った人が次の道具となるために喰われる連鎖を止めるため、そして自分の能力によって今後も誰かが不幸に巻き込まれることを避けるため、己と共に可能な限りで根源を消し去ろうとする、ダニーの死までの話を描いたのが、今回のDOCTOR SLEEPである。

ダニーはハロランのように、今回の物語の主要人物である少女の元に、霊として現れる。可能な限りの悪は滅ぼせたが、このような悪はいつでも生まれ得ることを心に留めさせ、物語は終わる。

本当に、自分の中で意味不明だったシャイニングを見事に閉幕させてくれた、素晴らしい作品だったと思う。また、何度も言うように、ホラーという感覚を時々忘れてしまうようなファンタジーなので、ホラーが苦手な人でも若干敷居は低くなったのではないかと思うので、ぜひ観ていただきたい作品だ。

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