自分との再会

ある程度は薬の力にも頼りながら自分を圧し殺して静かに過ごした1年。減薬を試みる中で、幼い頃の自分が見ていた世界に潜む恐怖や不安の原因が、より誇張されて見えるようになっていた。改めて、社会に適合したヒトに擬態していた過去の自分を褒めたくなる。えらい。一方で、無理してまで擬態していたことは、褒められたことじゃあないなあ。

しかし、もう擬態することに体力も気力も使わなくて良い。恐怖からは、まずはとにかく逃げること。それが、生物として、自己の生命を守ることに最も優れた状態だと思う。危険をいち早く察知して生き延びた生物の末裔が、今を生きている生き物たちなのだから。

もちろん、逃げなければいけない恐怖が社会の内側に集中していればいるほど、社会的な活動を生活の軸に置くことは困難になる。では、社会から逃げれば良い................残念ながら、完全に社会から逃げた上で安心した生活を得るには、少なくともこの日本では困難らしい。

社会などのあらゆる恐怖から逃げることが自己の生命維持として適切な行動であるとすれば、その先で待ち受ける死は、突然の事故によるものを除けば、寿命というふうに捉えられそうだ。自然なこと。或いは事故さえも自然かもしれない。だったら、死を覚悟してでも逃げることが、生を全うするということだと思う。

大学時代と比較すると、随分と、広げた腕の届く範囲が狭まってしまった。自己の安心の獲得には、他者に安心を与えることが必要な場合があり、それがある意味で社会を成立させていたかもしれない。ぼくも、自分と似た境遇に他の子どもが二度と遭ってしまわないようにすることを、自己の安心と捉えていた時期がある。それでもどこかで深く傷つく子どもの存在を知覚した時の自分への絶望感は、自分で自分を守れない程に深まり、それらの解消に逆進する社会の姿には、改めて戦慄する他なかった。ぼくの腕は他人どころか自分さえも守れない程に短くなったし、気付いたら、目に見える世界に潜む恐怖も更に膨らんでいた。元々からぼくの腕はどこにも届かなかったのかもしれないし、元々から恐怖は途轍もなく強くて、それが腕を伸ばすことを躊躇させていたのかもしれないが。

じゃあ、逃げよう。

それか、再び気分を落ち着かせ、恐怖を恐怖以外の形に変える方法を獲得するべきだろうか?今はその力があるかもしれない。

それは「忘却」や「気にしないフリ」であってはならず、自分の鋭い五感を最大限に使いながら、“恐怖だったモノ” を知覚した上で行わなければ、また振り出しに戻る。そこまで社会に関わることに固執する必要はどこにもないのに、なぜこんなことを考えてしまうのか。それは、既に傷ついてしまった人の存在を、ぼくが記憶しているからかもしれない。記憶にある自分や誰かの傷をきちんと癒さなければいけないというある種の本能が、考えることをやめさせない。

逃げ出すことが生命維持として正解なのに、何故か足を止めてしまう。そんなジレンマに彷徨うのが今のぼくでした。

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