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明日に詰まったら今日を精一杯感じてみる


ロッテリアでバーガーのセットを注文したら、高校生の頃を思い出した。

小さめの机にバーガーとポテト、それからドリンクが置かれた光景を見たら、なぜか無性に思い返してしまったのである。部活も引退した3年の秋、みんなで特に目的もなくチャリを漕いで、学校近くのマックでだべっていたあの時間を。




ネームが詰まっている。新作漫画の公開日まで残り40日を切っているというのに、まだネームをやっている状態である。

とりわけ、こういうときは待つに限る。無理に捻り出してもいいことがない。考えて考えて、時間がないからと睡眠時間を削って寝不足になって、ろくに頭が回っていないのにまだ考えて、そうやっても全然上手いアイデアが出ないのに、一度リラックスして過ごしてみて、たっぷりと寝て起きた後に急にいいアイデアが浮かんだりする。

そういう瞬間を何度か体験しているから、時間がないことに焦りつつも、今日という何氣ない日に意識を向けたら、マックに意味もなく足繁く通っていたあの頃を思い出したのである。

特に印象に残る出来事があったわけでもない。話していた内容も覚えていない。ただただ時間を持て余していたために、意味も理由も目的もなくフラフラとしていた無益な時間。けれど、そういう時間時間こそが今の創作の血肉になっていることを改めて感じる。創作は日常の組み替えである。




執筆中の新作にも似たようなシーンが登場する。

主人公とその親友が、どこかのチェーン店でだべるシーン。このシーンを描くのはおそらく来年になるだろうが、確かに、ぼくの中に物語として在るのである。そうしたシーンの元になっているのが、あの頃の無益な時間だったりするのだ。

一見、生産性がないように思える時間の中にアイデアが隠れていたりする。無益な時間は有益に変えられる。無駄な時間はないのである。

意味も理由も目的もなくマックでだべっていたあの時間は、この先何度もぼくの作品となって生きていくと思う。友達とくだらないことを喋っているあの感覚が、緩和した人間模様を描くにはピッタリで、それを実感できるのは経験しているからこそだったりする。




全ての時間が自分を育んでいるように思える。だからきっと、ネームに詰まりながらロッテリアでマックを思い出しているこの時間もきっと、自分を育んでいる時間なのだ。こうして実情をだらだらと綴っているこの時間が明日には、ネームのヒントになるかもしれないのである。

明日に詰まったら今日を精一杯感じてみる。明日を見ても見当たらない出口は、今日の中にあるかもしれない。



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【3月22日】
新作公開 / 制作クラウドファンディング開始
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あと34日

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