外国語と私

日本に面している国々の外国語を一通り話せるようになりたいなぁと、ずっと憧れを持っていた。

日本では中学、高校と英語を勉強するが、それ以外の言語に出会う機会は少ない。私は高校時代に、NHKのラジオ講座でフランス語を無駄に勉強したことがあった。受験勉強には関係のない科目なので、それに時間を使ってはいけないと思ってはいたのだが、違う世界を覗くことがちょっとしたストレス発散だったし面白かった。その時に感じたのは、語学の勉強とは、言語によって違う景色があるんだなぁということだった。

フランス語で言えば、英語にはない、単語自体の「女性/男性」という区別がって、それによって前後の言葉の選び方が変わる。発音も日本語にも英語にもない音がある。一方で、日本語よりも英語に近い語順や文法だったり、似ている単語があった。英語の知識を生かすことができる点で、フランス語の勉強はとても面白いと感じた。

英語ではない語学を勉強する楽しさを知ってから、ぜひアジアの言語を一つ学んでみたいという気持ちが強くなった。そして大学に入ってから、韓国語を勉強する機会を得た。ただ、韓国語は卒業単位に算入されない「自由選択科目」だったから、ここに時間を使っても卒業につながらないという問題もあってどうしようかと悩んだが、始めてみると面白くてやめられなくなった。

韓国語の面白さとはなんだろう?

まず、全く読めないハングルという文字が、だんだん、読めるようになることが一つ。そして、それを音に出して発音した時に、「あ、これ日本語の単語と発音と意味がおんなじじゃん?」と発見することがたくさんあることだ。例えば、「時間」というのはハングルでは「시간」と書いて発音は「シガン」。最初の「シ」に点々がないのだが、それでもなんとなく音が似ている。このように、両方の言語には漢字語が使われていて、その大半が実は共通なのだ。

ハングルは音を表しているだけで、実際にはその単語は漢字からきているという例がたくさんある。そのため、ハングルを音として口に出すことができるようになれば、初めて目にする単語でも意味が分かったりすることがある。まるで謎解きのようで楽しい。日本語で培ってきた語彙力が、そのまま韓国語の勉強に役立つというところが、英語などの言語にはない魅力だと思う。

次に、社会人になってからは中国語も勉強をした。

こちらは漢字をたくさん使うが、これも日本語で学んだ漢字がそのまま外国語になることが多く、それがとても新鮮だった。書き慣れた文字が外国語なるのは、まさに中国語を勉強している時の景色であり、これがとても新鮮に感じる。李白や杜甫の漢詩も、レ点や返点などで読み下していたものが、中国語として読めるようになるのもとても魅力的だった。特に、中国語の発音で読めた時の感動はひとしおで、より一層、漢詩の美しい世界を深く感じさせてくれる。これこそ、日本の高校の漢文の時間に取り入れたら、どれだけ楽しい授業になるだろうか?

次に、ロシア語。

これはまだ、最近、始めたばかりで何もできないのだが、この言語も独特の文字を持っているので、それを読み解いていくのが本当に楽しい。今は、ロシアの地名、例えばモスクワとかハバロフスクとかいう地名がロシア語表記で読み書きができて喜んでいる程度だ。でも、いつか会話ができるようになりたいと思う。

さて、外国語を勉強してきて思ったことがある。

言葉を勉強すると、我々が日本語を話しているということが、本当に貴重なことに思えてくるのだ。話をすることが苦手な相手がいても、その人に対して、思いやることができるようになる。「日本人だから日本語が話せて当たり前」という風に、相手が分かって当然という態度はよくあることがだが、よくよく考えれば、日本語が話せることも、本当は相当すごいことなんだなと感動的に思う。

自分には何も才能がない、何をやってもダメだと気落ちしている人に伝えたい。最後には「言葉がある」と。

私たちの話す日本語を大切にしていけば、危機的な状況でも何か道は開けると思うのだ。まずは日本語を大切にして、そしてなるべく時間を作って、英語を含めた、様々な語学の勉強を経験すると良いと思う。それは自分の視野を広げる意味で大きなプラスになる。

勉強してみて、身につかなかったとガッカリすることはない。その体験に意味があるし、それは決して無意味でななくて、何かしらの学びがその中にあるのだ。一旦挫折しても、将来その勉強を再び始めた時に、前に勉強したことが思い出されることがあると思う。それは素晴らしいことだ。

語学の勉強は、「少し勉強した」、あるいは「覗いた」というレベルでも十分だ。外国語を学んで、自分たちの言語を見つめ、それが自分たちの生活を豊かにできるとしたら最高ではないだろうか。



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