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美しいけど汚い。楽しいけど悲しい。

毎週金曜、パーソナリティを務めるラジオ番組で、私の選曲した音楽が流れる。

毎週どんな曲にしようか、悩みながらSpotifyをザッピングする。私の好きそうなアーティストが並んだAIプレイリストから、ピンときた曲を何曲かお気に入りに入れ、その中から選曲する。すると、私の選曲傾向が、なんとなく見えてくる。

優しいメロディと柔らかい声、それと相反する悲哀のある歌詞。だいたいこの要素を満たすものを選んでる。これは音楽だけじゃなくて、文学でも美術でも、私の好きなものの傾向な気がする。美しい、楽しい、だけでは物足りなくて、美しいけど汚い、楽しいけど悲しい、みたいなものに惹かれる。

なぜそういうものが好きなんだろう。私の思う美しいや楽しいに対して、いつもでもひっくり返る可能性があると思っているからかもしれない。喜怒哀楽は独立して存在しているわけではなく、きっと同じ地平でつながってる。

世界は私の知らないことで満ちている。だから、楽しいけど悲しいと感じる時、わたしの感性は経験則に乗っ取られていないと信じられる。嬉しいような辛いような、何ともいえない気持ちになる。ような気がするのだけど、こんな考えはいつもでもひっくり返る可能性があるし、世界はわからないことで満ちている。

知らないものに出会うときのあの感情に、名前をつけたい。好き、と言うだけではなにかが足りないし、なにかが違う。なんて言えばいいんだろうなあ。まだ、わからない。

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