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聞くことこそが、最も尊い

某日。近況を聞くため、数年ぶりの友人に会いました。

ただただ友人の話を聞こうと決めて会いに行ったのですが、本当に、ただただ聞くことしかできませんでした。事実とか状況というのは圧倒的で、人はそれを受け止め、次へ向かうしかありません。でも、ただ聞くことが、最も人を暖めることを知っているから、ただただ聞こうと思っていました。

途中、サマリタンズ(ロンドンの、世界で最初にできた電話による悩み相談を受ける団体)を設立したチャド・ヴァラーの「ビフレンディング」とか、「蟻の町(山谷)のマリア」と呼ばれた北原怜子(きたはら・さとこ)の「共に生きる」と言った言葉が頭の中を駆け巡り、ただただ聞いていました。

唯一「自分のせいでこうなったのかもしれない」という言葉には、「もしかしたらそうかもしれないし、そうではないかもしれない。本当のことなんてわからないけれど、自分のせいだと思っていたら、次にいけなくなってしまうから。事実なんて人間にはわかんないからさ、そう考えるのはいったん止めよう」と言いました。でもやっぱり、こんなことを言わず、もっと彼女の話を聞けばよかったかもしれません。

ただ聞くことが最も尊いと分かっていても、それを遂行するのはとてもむずかしいことを、今回改めて知りました。どうにかして、聞く以上に彼女を暖めたいと思ってしまうのです。

いやな気分にさせてしまったらどうしようと思ったりもしたのですが、心を天に開くような気持ちで、彼女の手に触れました。体温を伝えたかったのです。でも、触れた途端、手で人を癒す仕事をしている彼女の手の方が、圧倒的に暖かくて柔らかかった。これが良かったのかどうかはわからないけど、人一倍受けとることに長けた彼女だからこそ、曇りのない気持ちは伝わったのではないかと思っています。

今日は曖昧模糊とした文章になってしまいましたが、ありったけの想いを彼女に捧げたいと思って書きました。どうか、光の方へ向かいますように。祈りを込めて。

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