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宍粟市三社No1【與位神社】


阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネ)を訪ねて

天日槍が気になってから、播磨国風土記の講演会などにも顔を出し、さらに気になったのがアジスキタカヒコネでした。八咫烏とも言われるこの神様は大国主命と宗像三女神の一人、多紀理毘売命(市杵島姫とも)だとされていますが、どう考えても時代が違いすぎますよね、宗像三女神は天照大神と素戔嗚尊との誓約で生まれた女神たちで、世代が変わりすぎです。そこで光田和伸先生が言われるには、大歳神の子どもだと言われています。そうなると姉弟結婚したの?ってなりますが。。。神話にはよく有りますけどね。
ただ、兵庫県宍粟市には面白い神社が多数有ります。素戔嗚尊のお墓と呼ばれている前方後円墳(現在は円墳部分のみ)もあります。
そこでアジスキタカヒコネと関係があるのでは無いかと思われる神社を巡って来ました。

與位神社(よいじんじゃ)

この変わった名前の神社の御祭神は素戔嗚尊と稲田比賣、先ほど言った素戔嗚尊のお墓と言われる古墳の直ぐ麓にある神社です。ただ、前方後円墳だと、どんなに古くても2世紀頃ではないのかな?とすると素戔嗚尊は紀元前2世紀〜1世紀頃の神様と比定していますので、時代が合わない。つまり、偉い人の墓やぞ!って話しが残ってる、誰?ってなって有名な素戔嗚に
なったのではないのかな?と感じました。

與位神社 由緒

レイビレッジの主催者(さとうみつろう様)は疑っておられませんでしたが、僕的には?ですかね。分かりませんけど(笑)

與位神社 鳥居と参道

児童公園のような場所に車を駐めました、雰囲気は凄いのですが、何も感覚は無いです。う〜ん!ここは関係無いのかな?と思いながらも鳥居をくぐって参道を本殿に向かいます。大きな神社では無いですが参道はそれなりに長いです。叢林も立派ですし良い空気は感じています。でもいつものようなゾクゾク感がありません。とは言え、今回は神階を感じるためでは無く、アジスキタカヒコネと播磨の関わりのために来たのでそこまでガッカリはしませんでした。與位神社の與は与えるの旧字体で、字面だけ見ると位を与えると読めるのですが、前出のさとうみつろう さんは神々の位を与えるほどの権力者が居たのではないか?と言われていました。ただ、與位という名前がいつからあったのかによりますよね、紀元前からの呼び名であるなら、漢字は意味が無くなります。当て字ですから!ヨイと言う呼び方が先にあり、漢字を使うようになってから同音の漢字を当てただけです。シュメール語(アッカド語)でヨイに近いものは無いか調べましたが僕の検索力ではありませんでした。

素戔嗚尊と宍粟

播磨国風土記には素戔嗚尊は出てきません(全文読んでないので100%では無いです)よく出てくるのは大己貴命、少彦名命、伊和大神、天日槍です、光田先生は大己貴命と大国主命は別神だと断定されていました。僕もそう思います、大己貴命は大山祇神と同神だと言われていました、ここは僕に大山祇神の知識が乏しいため判断出来ないのですが、稲田姫の祖父神として登場したり、木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)の父神として登場したりします。伊弉諾尊、伊弉冉尊の間に生まれた神ともあり、最早意味不明です。播磨と素戔嗚の繋がりは分かりませんが、墓の伝承があり、その墓の麓に素戔嗚尊が御祭神の神社。そもそも宍粟と出雲は川で繋がっており、船で行き来が出来たらしいのです。今は真ん中に引原ダムが出来ているので、揖保川の水量もコントロールされて川底に石が散乱して船で行けそうも無いですが、当時は引原川と揖保川で行き来が出来たのだと思います。
そうなると出雲と宍粟は物流も人も容易に往来ができ、近しい関係にある方が納得いきますよね。
では、なぜ素戔嗚尊の墓が有るという伝承になったのか?

神名は役職名?

これは、都市伝説が好きな方ならご存知だと思いますが、第73代武内宿禰を自称されていた竹内睦泰(故人)さんが言われていることなのですが、神の名前は役職名で、代々受け継がれていくものだというのです。そうなると素戔嗚尊も何代も引き継がれていた可能性もあるわけです。
播磨国風土記には大己貴として出てきますが、何代目かの素戔嗚尊と名乗っていてもおかしくは無いのではないか?もしくは天日槍は朝鮮半島から来たと言うのは確定しているので、素戔嗚尊も朝鮮半島から来たとも言われます、朝鮮半島から来た権力者ということで天日槍を素戔嗚尊と思ったのか?天日槍なら前方後円墳と時代が合わないという事も無くなってきます。※ただ、光田先生は天日槍は7世紀だと言われているので合いません

本殿参拝


與位神社 拝殿

村社ほどの大きさの拝殿、本殿ですが、大切にされているのだろうなと思います。新年でされたとも考えられるのですが、参道も本殿周りも綺麗にされています。何か嬉しくなりました。ここまで何も感じてはいないのですが、年末に行った出石神社でもそうでしたが、『まだ早い!』と言われているように感じました。隠れんぼをされているようなイメージです。まだお前の前には出て行かない(感じるだけで見えないんですけどね)と思われているのかもです。どうすれば感じられるようになるのかは不明ですが、今は天日槍とアジスキタカヒコネを追いかけていきたいと思います。
柏手が余韻よく響き、益々良い気持ちになりました。

見えにくいですが本殿

ここから8キロほどで次の目的地である、伊和神社があります。天日槍や播磨国を調べようというきっかけになった神社です。心は既に伊和神社でした。 
宍粟神社三社No2【伊和神社】に続きます。

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