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鵜戸神宮【宮崎県日南市】

僕の友達は、営業で全国を飛び回っています。九州が担当だったこの時期に、九州に遊びに来いと言ってくれました。子どもも2歳で妻のお母さんも定年退職された時期だったので、定年祝いも兼ねて鹿児島・熊本・宮崎と遊びに行くことにしました。九州での移動は友達が営業車を出してくれるので安心。交通費も掛かりませんし楽ちんです。どこに行きたい?と言われたので、九州は行きたいところだらけですが、高千穂、阿蘇山、青島辺りをリクエストしました。中でも宮崎は神話の宝庫ですので非常に楽しみでした。

鵜戸神宮と言えば、運玉が人気だそうで、妻も絶対行きたいと言っていたので友達にお願いしていました。まだまだ神話の勉強が足りていない時期で、御祭神である「ウガヤフキアエズノミコト」の知識が全くありませんでした。古事記では天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコ ヒコ ナギサタケ ウカヤフキアハセス ノ ミコト)、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ヒコ ナギサタケ ウカヤフキアハセズ ノ ミコト)、他にも日子波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ヒコ ナギサタケ ウカヤフキアハセズ ノ ミコト)と様々です、日本神話にはよくあることです。御子神にイワレビコノミコト(後の神武天皇)がおられます。父神は火遠理命(ホオリノミコト※山幸彦)、母神は豊玉姫で、御子神には彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)、稲飯命(イナイノミコト)、三毛入野命(ニケイリノノミコト)と重要神が目白押しです。

ウガヤフキアエズと聞くと古史古伝マニアの方はどうしても五十代とも七十代続いたとも言われる、ウガヤフキアエズ王朝を想像してしまいますよね。
『上記』、『竹内文献』、『富士古文献』、『九鬼文献』など偽書と言われている古史古伝には必ず登場します。しかもこれらの文献が偽書とされる根拠の殆どは、この王朝の記述が似ている点に絞られてくるのです。この部分を真似しているから偽書だって言う論理です。特に富士古文献(宮下文書)に関しては徹底的にこの記載で偽書と認定したようです(国が総動員で偽書にした) 逆に怪しいと思ってしまいますよね。そういう意味では古事記よりも日本書紀の方が誠実に作られたと思います(あらゆる説を記載したので)。
神様の考察は又にして神社で何を感じられたかの話しにうつりましょう。

駐車場に車を止めて海沿いを歩くのですが、第一印象は神社?お寺?って感じでした。もちろん鳥居があり名前も神宮ですので神社なのですが、車を降りて感じたのはそうでした。神門をくぐり、楼門(超立派)をくぐり、千鳥橋、玉橋を渡り、長い階段を下りていきます、本殿に行くのに下がっていくのは出雲大社と同じですね。岸壁のすき間に神社らしき建物が見えていて、神社好きで無くともワクワクするのでは無いでしょうか。平日ですが、結構な人が参拝されています。人が多いといつもの感覚は鈍くなるので少し不安でした。階段を下りながら背筋がゾクゾクとしてきました。でもやっぱり神社と言うよりお寺の感じも続いています。最後の鳥居をくぐり、本殿の方へ向かいます。岩が掘られた中にあるので体感的にも涼しいです。よくこんな場所に建てられたなと思うような見たこと無い風景、岩すれすれに本殿の屋根がありました。ここが鵜葺草葺不合命がお生まれになった産屋の址と言われています。圧倒的な存在感です。朱塗りの本殿が邪魔をするのか(厳島神社もそうでした)どうもあの感覚が上手く感じられません。人が多いのも原因の1つかもです。少しガッカリしながらお乳岩の方へ、お乳岩とは山幸彦が約束を破って出産シーンを覗いたため、竜宮城へ帰ってしまった豊玉姫が鵜葺草葺不合の為に、両乳房を岩にくっつけて行かれたと言われている岩です。今でもこの岩から水が滴り落ち、この水で作ったお乳飴が売られています。やっぱり何も感じません。お乳水を一口頂き、海のそばなのに塩っ気が無いのが不思議でした。妻はお乳飴を買い、運玉をしたいとそれも購入。僕も一応購入して亀石のほうへ、背中にある窪みに、男性は左手、女性は右手で運玉を投げて入ると願いが叶うと言われています。見事に外れましたけど。妻は何と入りました!!この亀石は豊玉姫が出産のために地上に来る際に乗って来られた亀が石に変わったと言われています。
車に戻ろうと友達が言うので、車に戻りかけた時でした、頭の後ろでチリチリッと音がしました。何かな?と思って友達に「今鈴みたいな音せんかった?」聞きました、「いや、何も聞こえへんかったけどな」、妻も妻のお母さんも聞こえなかったようです。不思議に思いながらもこの旅行は鹿児島、熊本、宮崎を巡るので結構忙しいのです。駐車場の方に戻りながら雑談していると、楼門をくぐり、神門のほうへ行こうとした時に、又チリチリっと音がしました。今度は皆にも聞こえたようで、なんか音したなって事で、音がした右手の方を見ると、鵜戸稲荷神社と書かれた鳥居が見えました。ここか!呼んではるのは!と思い、「商売してるのでお稲荷さんはお参りしたい」とわがままを言って参拝。結構立派な社殿です、鳥居をくぐりながらもあの感覚がビンビンしています、門をくぐって本殿前で「わぁ何か居はるわ」と思いました。やっぱりこっちに来いと言われてたと確信。「すみませんでした」と謝りました。鵜戸神宮も厳島神社も、景観は素晴らしく、建物には圧倒されますが、神様という点では違う感覚です。(何度も言いますが今は自分の神階を感じる力が低いからだと思ってます)


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