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室津 賀茂神社【阿遅鉏高日子根神探訪】


播磨地方には賀茂神社が多い

さて、前回投稿からかなり時間が経ってしまいました。年度末は締切の仕事が多くにっちもさっちもですね。
と言うものの、阿遅鉏高日子根神が頭から離れないのは変わる事がなく、RPGの重要イベントは未だにクリア出来ていないようで、どこに行ってもボンヤリしたものしか感じ無いままです。
前回の安志加茂神社へ参拝して気付いた、たつの市には賀茂系神社が多く、それに惹かれて、室津の梅林を見に行く口実の元、家族でたつの市へ、中でも室津賀茂神社はかなりな大きさでもあるので、訪問を決意!
たつの市には賀茂神社が3つもあります、単純に室津の分社とも考えられますが、やっぱり多い気がします。何かにつけて由緒には神武東征との関わりを書いてますが、神武東征と切っても切れないのは八咫烏、八咫烏とは阿遅鉏高日子根神とも言われるほど関わりは深いので期待は膨らみます。
ただ、この室津賀茂神社へ行く道は、車で行ったのを後悔するほど狭く、分かりにくい道です。運転に自信のない方は、近くの漁港に駐めて徒歩をお勧めします。

室津賀茂神社 案内図

海と八咫烏

車が通れるのか?と思われるほど狭い石畳の道を経て、賀茂神社の駐車場へ、この駐車場も狭いです!
車を駐めて降りるも、シーン・・・やっぱり何も感じることが出来ません。ここも違うか。。
参道の階段を登りながらも、子ども達は階段が大好き!大喜びでお姉ちゃんとお兄ちゃんは競争しています、一番は下は手を繋いで登りました。

石段と鳥居


この狭い地域にあるとは思えない鳥居、その奥に四脚門が見えます、本殿も大きいのはネットで確認済み、違和感だけは半端なくあります。

室津賀茂神社 四脚門

神武東征では紀伊半島を案内した八咫烏と海がどうしても繋がらないのですが、神武天皇が海を渡って東征したのなら、途中途中で立ち寄ったのかもしれないですね。門をくぐっていよいよ本殿が目に入ってきます。少し背中はピリピリするものの何かを訴えかけてくるものは無く、阿遅鉏高日子根神との関係は薄いのかなと思いましたが、石段を登らないと本殿に行けない造りに興味をそそられました。
横に長い本殿は特徴的で重要文化財に指定されています。熊野本宮大社を思い出しました。流造の本殿の屋根も綺麗な檜皮葺ですし、地元の方に大切にされている神社を実感です。

室津賀茂神社 本殿

拝殿はとび拝殿と呼ばれる、境内を隔てた場所にあります。
御祭神は賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)で上鴨社と同じ、このお名前が一番謎が多いかもですね。高鴨神社(鴨社の総社)は事代主が御祭神です、ここは辞代主と表記されます、まぁ漢字は当てにはならないのですが、気になります。

本殿 案内板


阿遅鉏高日子根神は大物主とも比定されたりしますが、当然、事代主とも同一視されたりします。そうなると光とともに海から現れたとされる大物主が海に関係していてもおかしくは無いですね!

出雲との関係

室津賀茂神社にはさらに面白い神様が祀られています。意富多々泥子命(おおたたねこのみこと)摂社の太田社に祀られていますが、この漢字を見ると意と富が入ってそれを(おお)と読みます。これは出雲との関係を深く示す漢字だと言われており、吉備を攻めたとされる、大彦も記述では意富彦と書かれたりします、大彦は長髄彦とも言われたりしますし、意富多々泥子命は大国主が祟った際に指名をされて大国主命を祀り、祟りを鎮めた方であり、奈良県三輪の大神神社の初代宮司になった方です。

室津賀茂神社 太田社

こうなると賀茂神社という名前にも頷けるものが出てきました。言わずと知れた大神神社の御祭神は大物主です。
さらにここには玉依日子命も玉依日売命も祀られています。そして二柱の神の母神である、伊可古夜姫も祀られています。
丹波との深い繋がりも伺えます、下賀茂神社の御祭神の妻神ですね、亀岡市にある、宮川神社が有名ですが、亀岡市には出雲大社があり、出雲族の本拠があったのではとも言われています。
たつの市や宍粟市は川で出雲地方とも行き来が出来たのですから、やはり賀茂神社の名前は出雲族と深い関係にあったのでしょうね。

御祖社(玉依日売命)

本殿裏にある、御祖社(みおやしゃ)に、先ほど説明した玉依姫が祀られているのですが、ここに脚を踏み入れた瞬間、ぞぞぞ〜来ました!この神社に来てから初めてです、本殿が邪魔(失礼ですが)で、感じられなかったのかもしれません。いずれにしても海と深い関わりがある神様ですので、阿遅鉏高日子根神も出雲から大和へ行くのに海を使ったのかな?

室津賀茂神社 御祖社

そこは分かりませんが、ますます阿遅鉏高日子根神が気になる結果となりました。玉依姫、宗像三女神はまた別に検証して行きたいと思いますが、まずは、阿遅鉏高日子根神と天日槍を追いかけていますので、そっちをメインに考えて行きますが、それにしても賀茂神社で一番感じるのが玉依姫の社だとなると、玉依姫の父神は建角身命と言われたり、綿津見豊玉彦と言われたりしますが、同一神なのではと思ってしまいます。そうすると、建角身命が神武東征の際に大和まで海路を案内し、阿遅鉏高日子根神が陸に上がってから案内し、2人で八咫烏と呼ばれるようになったとも考えられそうです。

室津賀茂神社 片岡社


ところで綿津見神も隠されている神様で、海の神様なのに、記紀では、海は素戔嗚尊が納めるはず(泣いてばかりでおさめてませんが)になっています、玉依姫は神武天皇を産んだことになっているので、かなり重要な神様のはずです、なのに隠されている、キーとなるのはウガヤフキアエズ命なのかもしれませんね。王朝名とも言われるウガヤフキアエズ命も謎だらけですね。本当にエピソードの少ない神様で、記紀の記述は信用していませんが、産まれる時がメインでその後は、伯母と結婚して4柱の御子神をもうけるだけです。
そこが益々怪しいと思ってしまうのは僕だけでしょうか?
偽書とされている竹内文書や宮下文書、九鬼文書(くかみもんじょ)、秀真伝(ほつまつたえ)などでは、一転して王朝として大活躍するのです、因みに神武天皇はウガヤフキアエズ王朝の73代目としてかかれていたりします。
玉依姫はワニとも龍とも書かれていますが、海の神様でワニは違和感がありますよね、広島の方では鮫のことをワニと言ったりするので鮫の可能性もありますが、素直に龍の方がしっくりきますね。

室津賀茂神社 神紋

アジスキタカヒコネと玉依姫

御祖(みおや)と玉依姫が呼ばれるのは、神武天皇の母神だからだと思いますが、同時に別雷命の御祖でもあったようなのです、でないと、室津賀茂神社に御祖社として祀られるのは、おかしくなりますよね。
そうすると神武天皇と別雷命は父神が違う異父兄弟だったのかもしれません、だからこそ、神武天皇を正統とすると、異父兄弟がいては困るのでは無いでしょうか?彦火火出見尊(山幸彦)と豊玉姫の息子である、ウガヤフキアエズ命と結婚した玉依姫は、その後、違う神様との間に別雷命を生んだのか、それともウガヤフキアエズ命との間に生まれた4柱の中の誰かが別雷命なのか、ただ、加毛大神と言う尊称を持つ別雷(アジスキタカヒコネ)は、日本の神様でも天照大神、大国主大神、大物主大神、大和大国魂大神、とあまり多くはおられません。天照大神は無理矢理奉られてるので、無視しますが、その他の神は、ほとんど出雲との関係が深い神様なのです。
そこで気になることを思い出しました、出雲にある神魂神社(かもすじんじゃ)です、神に魂で【かもす】と珍しい読み方をするのですが、ネットでこの漢字を検索してみて下さい。カミムスビ、カムムスビ、として、神皇産霊尊(かみむすびのみこと)がヒットします。造化三伸として天照よりも尊い神様としてこの世界を創造した神様です。気になったのはカモスのカモです。出雲の神魂神社の御祭神は伊弉諾尊、伊邪那美命となってますが、全く納得出来ません。ひょっとすると阿遅鉏高日子根神の父神は神皇産霊命では無いのか?だからこそ、加毛大神なのでは?
これは、神魂神社に行くしか無い!
と言うことで、春休みの旅行は島根県に決定しました!


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