介護の標本 その1

千葉県から2時間かけて都内に通う通勤。4~5年ほど経過し転職した先で半年ほど経過したら電車の中で突然意識を失う。時間にしてコンマ何秒だと思う。次の瞬間、目には電車の床が近づいてきて、手に力を入れると手すりの感覚があった。握りしめたら転倒はせずに手すりにつかまった状態でうずくまってた。いわゆる脳貧血で学校の朝礼で突然倒れるあれだ。生まれて初めて体験したせいか、それ以来電車に乗ると心臓の鼓動が少し高くなるのを感じ、扉が閉まるときに『どうか閉まらないで』と焦り過呼吸になった。この時からパニック障害というものを患う。心療内科というものに通い始めて精神安定剤、抗鬱剤を処方してもらうようになって、だましだまし遠距離通勤して数年経った時、東日本大震災よりもう数年前かな、同居してる父が自宅の階段から転落し帰宅した母に犬神家の一族状態で発見される。頸髄損傷。首の神経が断裂こそしなかったものの四肢が不自由となり自発呼吸も弱くなり痰の排出が出来なくなる。そこからどれ位入院したかはもう記憶が定かではないが、初めて『要介護』というものの説明を受ける。要介護認定、介護保険、在宅介護、老老介護、老健、特養、デイサービス、ショートステイ・・・色んな言葉が生活に飛び交うようになった。幸いなことに入院当初は要介護度5(最大)だろうと見立てだったが老健が併設されている病院で同じ敷地内でリハビリが出来たことと本人の元気になりたい意欲(夜遊びと女性大好き)の相乗効果で、最終的には自分で歩行もおトイレもできる状態まで回復し病院の相談員も感心する位回復した。施設から帰宅しここから在宅介護が始まる。この時父70代後半、母70代前半、自分30代前半。

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