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崖っぷち理系女の物語-第1話@仕事について話そう

「仕事について話そう」の企画記事を考えていて、一番書きたいことって何だろう。それは、独身の頃、仕事の事だけ考えてひたむきに頑張っていた頃の事だと気が付きました。今は介護で女性の多い職場にいますが。あの頃は男性ばかりの職場で紅一点だったんですよね。
高校時代に理系を志してから、高校、大学、就職と、大体いつも崖っぷちだった様な気がします。歳をとって忘れちゃうのも寂しいので、シリーズで投稿してみたいと思います。
実話ベースで、名前や社名は仮名で書いていきたいと思います。第1話である本投稿以外は有料noteにするつもりです。では、行きます…

私が中学校3年生の頃、自分の実力よりも少し高めの進学校を受験しました。結果は不合格。ちょうど受験の日に風邪をこじらせてしまい、微熱がある中の受験でした。合否発表には妹が行ってくれました。不合格の結果を見て、暗い気持ちになったそうです。申し訳ない。翌年、妹はその高校に見事に合格しました。

私は、滑り止めの私立のお嬢様学校に進学しました。エスカレーター式に女子大に進学出来るので、両親は安心していました。

「親の心子知らず、子の心親知らず」
とはよく言ったもので。そうスムーズには行きませんでした。高1の私は、たまたま読んだ宇宙物理学の本に魅せられてしまい、「研究の道に進みたい。この高校では受験に不利だ。どうしよう」と焦りに焦り、1人で受験勉強を始めました。そしてそのまま、焦りに焦って3年間ひたすら受験勉強をしました。高校は受験対策をしてくれる様な進学校ではなく、物理は教科書の4分野のうち、最初の力学しかやって貰えませんでした。独学で勉強して、それでも分からない時は山勘で、地方大学の理学部物理学科を受験して、結果は不合格。浪人するしかなくて予備校に申し込んだ後、補欠合格の通知が来ました。

私は崖っぷちで何とか、希望の学部学科の大学生になる事が出来ました。

やっと希望していた宇宙物理学が勉強できると喜んで入学。でも、待っていたのは2年間の教養過程でした。物理漬けの専門課程は3年生から。何という事でしょうか。
有名なアインシュタインが特殊相対性理論を発表したのは弱冠26才だったそうです。物理学で有名な研究をした人達は、写真はお爺さんだったりしますけど、発表したのは20代が多いです。教養過程なんて2年間もやっていたら、自分は年を取って研究者として手遅れになる。私は、美味しいご飯を目の前に置かれて、待てをされる犬の様な気持ちでした。

この、待てをされる犬の様な気持ちを、私は社会人になり会社で働く様になっても、味わうことになります。不思議なのですが、私が派遣社員で見た日本の大企業では、物作りをしているのはOEMなどの外注の会社の人だったりします。会社の中の人は管理と検証だけをして、ソフトならコードを書かない、ハードなら作らないで買って済ませてしまう。

年を重ねた今になって思うのは、日本はJOB型雇用ではないから、この様な事が起こるのではないかということです。大学なら、雇用した沢山の先生が収入を得る為に、教養過程の授業がされていた様に思います。そして、大企業が空洞化するのも、物を作れるエンジニアは物を作り終わると不要になるので、始めからそういう潰しの効かない人材は置かないのではないでしょうか。でも、こんな事を延々と続けていたら、大学の研究でも、企業の設計開発でも、JOB型の海外には勝てなくなる気がします。

話しは大学の勉強に戻ります。待ちに待った大学3年生から、私は宇宙物理学に関係する沢山の科目を選択して、夢だった勉強を本格的に始めました。21才、まだまだ若いので、才能があれば吸収できたはずですが…厳しい壁が待っていました。特殊相対性理論は何とか理解出来ましたが、一般相対性理論はちんぷんかんぷんで全く分からない。数学も、行列計算とか微分とか積分とか、すぐに無限♾️が出てきて、理解するのは困難でした。先生方が数式を書いてくれて、「こういうわけで宇宙は広がっていっています」という結論を話して下さいますが。分からな過ぎて自分は宇宙物理学という宗教を学んでいるのかと思うくらいでした…💦

こうして、4年生になった私は理論物理学(宇宙物理学)を諦めて、実験系の研究室に進みました。そして、研究者の道も断念して、就職活動をしました。
続く…


2024/2/27追記
YouTube見て○十年越しで夢が叶いました。理論物理学をReHacQで野村先生が解説されていて、凄く分かりやすいかったです。オススメです!


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