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<旅日記⑬ Sep.1995>(バンコク・マレー鉄道の旅へ③)


ほんとうはもっと短い滞在のはずだったが、タイの都・バンコックに6泊も居座ってしまった。

旅の中継基地カオサン

1に観光に好立地なところの安宿、2に撮影済みフィルムの日本への発送、3に衣類の洗濯、4に床屋、5に通貨の両替・・・。

旅の中継基地としての必要を満たしてくれる街が、カオサンだった。

カオサンにある無数の安宿は、王宮などタイ観光のハイライトを飾るスポットに徒歩で行ける圏内という点ではどの5つ星ホテルに立地はまさるうえ、すぐ近くを流れるチャオプラヤ川の水上バス(定期船)を利用すれば道路の渋滞を心配せずかなりのエリアを安く安全に短時間で行き来できる。それでいて、宿代は超安い。初日こそ600円ぐらいのところに泊まったが、翌日からは1泊250円ぐらいの宿に移った。

旅のオアシス

 安全で、快適(???)な安宿がよりどりみどりの街で、旅に必要な衣類や雑貨、旅のガイドブックのそろう古本屋、ニセ身分証作成屋、国際電話屋にインターネットカフェ。そして一番大事なのは、ビールやコーヒーの飲める食堂やカフェ。不思議なくらい、いかがわしい店はなく、年中、初午大祭のようなにぎわいのある街だ。世界各国のバックパッカーにとってはさながら旅のオアシスである。騒々しいことが嫌であれば出ていくしかないが、そうでなければつい居着いてしまう心地よさがある。

苦手意識を克服

 わたしは、この街にくるまではタイに対して腰が引けたところがあった。 

 読売の現役記者時代に、同僚記者とこの街に来た際のトラウマがあったのだ。夜中の零時を回って空港に 着陸する便でバンコックに到着、空港から予約してあった高級ホテルまでタクシーに乗った。車内には運転手とは別に助手席に“兄ちゃん”が乗っていて、わたしたち、バブリーな日本人観光客をなんとか夜の観光に連れ 出そうとしつこい。ちゃんと宿泊先に連れて行ってくれるのか不安この上ない。

 だから、わたしにとってのタイは 油断できない都市という印象がこびりついてしまっていた。

 そんなバンコックのトラウマも、この街を知ることから苦手意識は克服されていった。やつらだって、わたしたちをどこかへ連れて行くことで小遣いを稼ぎたいという下心はあるにあったが、あくまでもそれはかれらのビジネス。ちゃんとわたしたちのホテルへ連れて行ってくれたし、ぼることもなかった。

都市主要部の外周約25キロを6時間がかりで歩き通した!

 今回は、この街を拠点に、タイのでかすぎる首都の鳥瞰図を頭にたたき込んでやるという気概があった。そのためには歩くことだ。それが基本だ。手に入れた市街地図を手に、都市の主要部を一周するぞという決意を持って、朝9時に出発、午後3時ごろまでの6時間をかけ、暑さにもめげず、およそ25キロ(たぶん)の道のりを歩いて帰ってきた。都市地図1枚に描き込んだルートを1周することでこの街の輪郭をつかめた。この方法は、30代のころのわたしの旅の基本となっている。

 途中、バンコック1の最高級ホテルである「オリエンタル」に立ち寄って涼もうとしたが、ゲートのところで立ち入りを拒否されてしまった。こんなこと初めてだ。短パンだからというのが理由だったが、現役の新聞記者時代に来たときは同じような姿でも問題なく入ることができた。

 「サイゴン」と書かれたベトナム帰りの帽子のせいか、カメラマンベストのせいか・・・はわからないが、すっかり、安宿暮らしの怪しいバックパッカーが完成していたということだろう。

 そんなことよりも、熱いバンコックの主要部を6時間もかけてひととおり歩き通すことができたことで、この街に対する自信となった。

 それでも、時々、川を行き来する便利な水上バスでは時折行き先を間違えたり、下船したい停留所に止まってくれなかったりはしたが、水上から見る巨大都市は心地よかった。

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 きょうも、カオサンの街では、安くておいしいシンハー・ビアと、大好きな焼きそばが待っている。
            (1995年9月22日〜9月28日)

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