#010 『絵本とは何か』を読む。 -第2章 絵本の選択-
第1章に引き続き、第2章。
琴線に触れた部分を引用し、自分の思いや経験と結びつけて考えていきたい。
絵本の世界を体験する
絵本について学んでいくと、実際には手に取っていなくても、良い絵本のタイトルを知ったり、物語のあらすじを知ったりする。
批評文を読むことで、絵本に精通している方の考えを知ることができるし、様々な賞について調べることで、どのような絵本が社会で評価されているのかがわかる。
しかし、それでわかったような気になってはいけない。
実際に、絵本の世界に入ってみなければ、絵本の良さを理解することはできない。
幸いなことに、私には息子たち(5歳と1歳)や、学校で関わる子どもたちがいるので、子どもとともに絵本の世界を楽しむことができる。
絵本を手渡す存在として、しっかりと自分で体験して、感じたことを伝えていきたい。
子どもの側から、おとなの側から
初めて触れた考え方だが、なるほどなと思った分類。
引用した文章の後にも、前者に分類される、いくつかのタイトルがあげられていたが、どれも子どもの世界が見事に描き出されている作品ばかり。
子どもは、自分の世界と陸続きの世界だったかのように、すっと物語に入っていく。
大人の私が読むと、子どもの世界を見せてもらっているような気もちになる。
私は、このような絵本が好き。
例としてはあげられていなかったが、長男と最近読んだ絵本だと、『おふろだいすき』や『めっきらもっきら どおん どん』も前者に属するだろうか。
どちらも「きっと子どもはこのような空想の世界を楽しんでいるんだろうな。」と、子どもの世界を知ることができる作品でおすすめ。
『最近は、後者の絵本が多くなりました。』とも、書かれている。
(引用した文章の中で紹介されていた三冊は、子どもに喜ばれる成功した例としてあげられている。)
後者の絵本が多くなったということは、後者の絵本を購入する大人が増えたとも言えるだろうか。
後者の絵本を批判するわけではないが、子どもたちが後者の絵本ばかり手渡されているのだとしたら、少し残念だと思う。
文学的な書き言葉
意識して生活を過ごしていないと、文学的な書き言葉に触れる機会は少ない。
絵本や童話、昔話を子どもと読み合い、子どもが文学的な書き言葉に触れる機会をつくっていきたい。
本書の中で、詩の絵本として、紹介されている『かばくん』
朝になってもなかなか起きないかばくん。
かばの親子のもとへ、かめを連れた男の子がやってくる。
かばの親子とかめは、一緒に泳いだり、見物客を見に行ったり。
もらったキャベツは、かばくんの大きな口で一口。
お腹いっぱいになったかばの親子とかめはお昼寝。
かめと別れを告げて、夜にはまた眠りにつく。
かばの親子とかめ、男の子とのゆったりとしたやり取りにユーモアが感じられ、穏やかな気もちになる一冊。
精選された言葉とリズム感のある詩の文章は、他の絵本とは一味違う。
キャンバスを生かした絵からは、かばたちキャラクターの温かみが伝わってくるし、動物園へ来てスケッチしたかのような印象も受ける。
詩の絵本と聞いて、思い浮かんだのは『ことばあそびうた』
日本語の面白さを感じられる詩集。
リズムの良いものが多く、音読すると気もちがいい。
ついつい口ずさんでしまう、気がつくと覚えてしまっている。
赤・黄・緑と黒の線で描かれた版画を彷彿とさせる絵も、それぞれの詩の楽しさを際立たせている。
長男(5歳)も大好き。
まとめ
絵本について学びたければ、自分で手に取ってみることが大切。
子どもの側から発想された絵本と、おとなの側から発想された絵本がある。
幼児が、文学的な書き言葉(絵本、童話、昔話、詩など)に触れる体験を大切にする必要がある。
他者の借り物の言葉ではなく、実際に絵本を手に取り、自分自身が感じたことを自分の言葉で伝えていく。
子どもの側から発想された絵本は、子どもたちを自然と惹きつける力があるので、是非手に取ってみてほしい。
関わる人に適書を手渡すことができるよう、これからも絵本を見る目を磨いていく。
第3章へ続く。
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