ほんとは、きっと誰よりも成功したい。

本日、4月2日。

新春の暖かい陽気に包まれ、今日を生きる私たちの背中を押してくれるかのような萌黄色の風が立ち込めている。

そんな中、特に変わり映えのない日々を送っているからだろうか、少し取り残されたような心地が悪い気持ちにもなってみたりする。

この一週間、よくTwitterである言葉を見かけた。

「新社会人のひとたちへ。」

私がTwitterでフォローしている界隈、つまるところ広告や編集、デザイン業界で名前が通った方々の、若者に向けての愛でタイムラインが溢れている。

それらを、まるで自分に向けられた手紙のように熱心に読んでみる。

本当にしんどくなったら逃げなさい。
まずは継続してやってみなさい。
会社の飲み会には参加しなさい。

色んな意見がある。

こればっかりは、「いいね数」を物差しにしなくてもいいんじゃないだろうか。

伝えたい想いが十人十色ということは、それだけ長く働いてきたプロたちも、入る企業や仕事によって考え方のベースが異なって作られてきたわけで。

全て自分が、目で見て肌で感じ、実感してきたことに基づくわけで。

ということで、何が自分にとっての正解かは分からない。


そこで大事になってくるのは、「自分」の気持ちに鈍くならないことだと思う。

社会に出て大人になることは、今まで以上に選択の繰り返しが待っている。

間違っていても正しくとも、それが誰かによって促されたとしても、状況のせいで仕方なかったとしても、選んで決断したことこそが「これから」の土壌を作ってくれる。

それは、晴天になることもあれば、大雨の台風になる日もある。

社会に出ると痛みを感じる瞬間が多少なりとも存在し、夢や希望、成功したいという願いを強く持てば持つほど、きっと打ちのめされた時の現実に目を瞑りたくなってしまう。

ただ、そんな時でも決断して選択していかなければならない。

そんな苦悩の日々が重なると、「自分は果たしてほんとのところ、どう思っているんだろう」ということすらも見失ってしまう。

決断による「後悔」は、真っ白で細やかな初雪のように、静かに蓄積されていく。そして時間の経過と共にその後悔は溶け出し、いつしか消えてゆく。

人生の思い通りのプランから外れてしまったとしても、痛みを受け止めた後には、どこからでも道は放射状に伸びているものだ。

せめて自分自身だけは「心の痛点」に敏感であってほしい。


Twitterでもうひとつ。

よく見かけるワード「副業・複業 ・パラレルキャリア」が注目されている。

自分の名前で仕事をする。

つまるところ、ライターやデザイナーなどがイメージしやすいだろう。AI時代の隆盛が予期される中で、個人の価値を見出す必要性があることが大きく起因していると思う。

「これからは自分の価値を市場に売り出し勝負する時代だ」

いやはやかっこいい。それが出来れば確かにメリットが多々あるだろう。

ただこれは今のご時世だけでなく(インフラや世論は異なれど)いつの時代もそんな想いはあったはずだ。

母数が大きくなると駆り立てられる。さらに旨味を聞きつけると、どうしても惹かれてしまうことはある。ただそれが自分にとって正解かは分からない。

発信する重要性や価値創出ばかりに囚われるのではなく、自分のためのキャリアを長期スパンで考えた時に、「訴えない美」こそ磨いていく必要もあると思う。


以前、堀江貴文さんがTwitterで

寿司職人として一人前になるために”飯炊き3年、握り8年”の修行が必要という話題に対して、問題なのは職人としてのセンスであり何年も修行するのはバカだと主張したことがあった。

その意見を受けて、フォロワーからは賛否両論の意見が噴出した。

「確かに、海外で経験を積んで3カ月で出店する人もいるから、日本の古い精神文化は捨てるべき」

「いや、寿司には伝統があり、師匠のもとで場数を踏むことで一人前になるものだ」

どの意見も間違っていないんだろう。

現在は簡単に勉強のための動画があり、資金獲得のシステムが存在し、人と繋がるプラットフォームが整備されている。

ただ、いかに最短ルートを選択するか、ということはすべてではない。

弟子生活を長年やったからこそ得られる人脈や経験値は、簡単に海外出店した職人には想像もつかないものだろう。また逆も然りだ。

だからこそ、仕事観や価値観は、影響を受けることは悪いとは言わないが、「その時の自分は、何を大切にしたいのか」を把握しておくといいんじゃないだろうか。

この人と繋がっているんだ、これが出来るんだ、と大きな声をあげることばかりが全てではない。


そしてそれは仕事観だけではなく、人生において本質的な「取り替えの効かない大切なもの」を見失ってはいけない。

キャリアなのか
家族なのか
友人なのか
恋人なのか

はたまた自分の信念なのか

人によって取り替えが効かないものは違う。そして状況によっても変わる。

わたしは、まだそれがハッキリとは分からない。

地方にいる老いた親の為に近くで仕事をしてあげたい気持ちと、東京でキャリアを積んでみたいという気持ちの狭間にいる。

ただ唯一後悔していないこととしては、取り替えが効かない「自分の心の痛点」に従って、仕事を辞めたことだと思う。

苦しみを和らげたり、楽しみを生み出したり、といったことは、他者が与えてくれたり環境が生み出すものだったりする。

けれど、いつもその前にあるのは、「まずそれを受け入れるのか」という選択をする自分でしかない。

だからこそ心の声と向き合い、肩の力を抜いて歩んでいきたい。

仕事に希望を見出せなくとも、
やりたいことが特別なくとも、

それでいい。本当は野心に満ち溢れているけれど、もうそれだけがすべてではないと知っている。


最後に、大切にしている金言にて結びの言葉とする。

「困難に向かい合ったとき、もうだめだ、と思ったとき、想像してみるといい。
三時間後の君、涙がとまっている。二十四時間後の君、涙は乾いている。
二日後の君、顔を上げている。三日後の君、歩き出している」

ー原田マハ氏 「本日はお日柄もよく」ー


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回顧さん

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