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はじめに。

noteというものを書いてみることにした。
私は昭和56年生まれでもうすぐ40歳になろうとする人です。

大学卒業まで22年間、高槻市の実家に住み育ち
そこから就職で2年半東京で働き神奈川に住み、また転勤で難波へ。2年半ほど高槻の実家に帰ってきて、
その後はずっと東京の23区ではない郊外に住んで結婚して同じ会社で馬車馬のように毎日働いてます(たいそうな仕事はしていないけど働くのが嫌いなのでこういう表現になります)。

市の規模的に高槻と似ている感じの場所で住みやすい。
結婚もしたし、ずっとここに住むのだろうか。賃貸だけど。
子供はいないのと、産むつもりもないので夫と2人暮らし。

5年くらい前から思い始めたのかな、
実家に帰れるのも年2回程度。親もどんどん年をとり、家も古くなってきている。親が亡くなるまで、元気なうちにあと何回会えるんだろう。
昔は当たり前に食べていた母親のごはんはいつまで食べれるのだろう。
一緒に旅行やお出かけ、買い物できるような日々はいつまで続くんだろう。

このコロナ禍で、1年に1回も帰れないような日々。
旅行よりなにより実家でゆっくり暮らしたいとおもいはじめたり。
仕事なんて1か月とか、いや、1年休職して実家でゆっくり暮らしたいとか思っちゃう。
そんな日々。

長年住んだ高槻の駅前の様子もずいぶん変わってしまいました。
小さな時にワクワクしたお店、街並み、思い出がどんどんなくなっていく。
新しいきれいで便利な街に発展していくのはうれしいですが、とても寂しい。
昔の高槻の街並みの写真もネット上にはあまりない。

自分の両親も年をとってきて、70代になり、もう先も長くない。
昔からあるものはいつかなくなってしまうんだな、形をかえていくんだな、
小さい頃母親とよく通ってたお店ももう跡形もない、
大好きだった祖母の家ももうない、
祖母の家に行くとき通っていた山道のようなワクワクした道も大規模な宅地開発で跡形もなくなってしまった。
そういうことが本当に寂しく思えて、なんか危機感のような、
悲しみのようなものを覚え始めた。

そう思ったときに、デジタル上に昔のことを書いてある情報がないな、こういう話題を扱ったコンテンツがあればいいのに、
と思ったときに、
自分が書き留めて、忘れないように、
そして
同じ想いを持った高槻出身の人もたくさんいるのではないか、
高槻に限らず、当時流行っていたものやテレビの話題、懐かしいもの色々を欲している私みたいな人がいるのではないか、と思って
自分ではじめてみようと思った次第。

よく文章が長くわかりにくい、
読みたくないとか仕事では言われてしまうけど、
とりあえずやってみようと思う。

昭和56年生まれの高槻市生まれ育ちの私が過去の記憶をたよりに文章で表現する。
高槻もだけど、当時の大阪などや流行りもの、当時のテレビや商品など全般的な思い出も描いていけたらいいなと思っている。

多分幼少期1980年代~2000年代初頭くらいの話がメインになると思います。

多分記憶違いの部分もたくさんあるだろうし、記憶が曖昧すぎて何言ってるのかわかんない文章もあるだろうけど。

同じ想いをもっていている人が、
高槻で生まれ育ったり関わりがあった人が、
当時の梅田でワクワクお買い物をしていた人が、
関西でこういう場所あったよね!ここ行ったよ!とかいう人が、
あったよね!!懐かしい!!忘れてた!!思い出した!!
とか、そうやって思ってもらって、懐かしい嬉しい気持ちになりますように。

写真は昔から行っていた天神さん。
本殿?は変わってしまっているけど、階段や道?はそのまんま、
猫たちもいて、嬉しいですね。

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