12. すべてはメッセンジャー
すべてはメッセンジャー、なのだが、気づくか気づかないかはあなた次第。
節分の豆まきの時、キャッチするぞと構えている人とボーっと立っている人では当然、収穫量に差が出る。
本が落ちてきたら開いてみる、何か気になることが有ったら少し考えてみる。メッセンジャーは必ずしも人ではない、モノ、事象、思いつきも。
前に座る人、同じグループになる人、話す機会を得た人も、何かしらメッセージを持っている。偶然は必然。
『聖なる予言』ジェームズ・レッドフィールド著には結構ヒントをもらったと思う。たしか初版の販売開始直後に手に入れたはず。本に書いてあることを試しながら、自分の経験も少しずつ加えて心得をつくってきた。
メッセージは最初と一番最後のどんじりに出てくることが多い。
だから、最後までアンテナはしっかり立てておいた方がよい。
最初のメッセージは、「やっぱりな」と思うことであった。
ここ1ヶ月位、画像や動画で気になることがあり、その事が最初のメッセージで完成された。「気づいてよ」と繰り返し目の前に現れたこと、選んで見たことが、最終的に言葉と共に方法も携えて渡された。
とにかく実施せよ、というメッセージ。具体的な方法も教えて頂いたんだから、無理せず実施するしかないな。それが身のため。
最後から2番目のメッセージは波動が一瞬で高くなること。これでいいんだな、と気づいた。
どんじりのメッセージは、うーん、深かった。なるほど、これもこれでよいのだ。これでまた自分が知覚できる世界も広がっていく。
自分の知っていることを伝えてみる。すると次から次へとつながっていく。関係性の出っ張りをみつけたら、つまんでひっぱってみる、するともっと展開していく。
為になるメッセージは惜しみなくキラキラしながら降っている。
いらないメッセージが降ってきても、それもちょっと考えてみる。
ひっかけメッセージに気づいたら、きっぱりお断り。
意識的に動いて感じてみると、少しエネルギーを動かせた気分になるかも。
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