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アミタヴ・ゴーシュ『シャドウ・ラインズ』

アミタヴ・ゴーシュ『飢えた潮』、興味はあるけど、聞いたことの無い作家だし…と二の足を踏んでいる方もそこそこいらっしゃるのではないかと思います。
しかし、ゴーシュの小説、日本で全く読めないわけではありません。どうしようかな、と迷われている方にお勧めしたいのが、この二冊です。

『ガラスの宮殿』(小野正嗣・小沢自然訳、新潮クレストブックス、2007年 [原作2000年])
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『シャドウ・ラインズ』(井坂理穂訳、而立書房、2004年 [原作1988年])
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『ガラスの宮殿』は、1886年のイギリスによるビルマ占領を起点に、民族主義の時代、太平洋戦争の時代、インド、ビルマの独立を経て、ミャンマー軍政の時代にまで至る時代のうねりを、インド、ビルマ、マレーシア、シンガポールという広大なエリアを舞台に描き出す一大大河小説で、世界的ベストセラーになりました。おそらく、日本の読者で「ゴーシュ、知っているよ」と言う方の多くは、『ガラスの宮殿』がきっかけだったのではないかと思います。

一方、『シャドウ・ラインズ』は、原作は1988年の発表で、ゴーシュの小説第二作、母国インドでアミタヴ・ゴーシュの評価を一気に高めた作品です。この作品は1990年、インドでサヒトヤ・アカデミー賞(文学アカデミー賞)を受賞し、現在でも英語の授業でテキストとして使われることも多いそうです。近代インド史研究の第一人者である井坂理穂先生による翻訳も丁寧・正確・流麗で、もっともっと読まれて良い作品だと思います。学校で読まれることも多いため、私のインド人の友人でも、「アミタヴ・ゴーシュと言えば、シャドウ・ラインズ!」という人は非常に多い。
この『シャドウ・ラインズ』、主として、1964年のコミュナル暴動に巻き込まれて命を落とした青年の話で、『飢えた潮』のストーリーとの直接的なつながりはないのですが、今回『飢えた潮』の翻訳をしながら『シャドウ・ラインズ』を再読してみて、共通するテーマ、モチーフが思った以上に多いことに驚かされました。
もちろん、スタイルの面では二つの作品は大きな違いがあります。
『シャドウ・ラインズ』では、いくつもの「時」が自由自在に入り乱れ、主人公「僕」は、実際に事件が起こってから何年も経った後になって、いろいろな人の記憶を丁寧に解きほぐしながら、過去に発生した事件の意味を問い直していきます。読む側にも、主人公の記憶の旅に丁寧に付きあうことが求められますが、なんと、そこから次第に、普段は地底深く隠されている(インド人にとってさえ!)もうひとつの現代インド史が立ち現われてきます。現代インドを「犯人」とする、究極の心理サスペンスミステリーといってもいいかもしれません。訳者の井坂先生が、「語られなかったインド」という副題をつけたのも、「なるほど、確かに!」と唸らされます。
一方、『飢えた潮』も、過去と現在を往復しながら話が進んでいく点は同じですが、過去だけでなく現在においても波瀾万丈のストーリーが動いていることが、小説全体に、読者をぐいぐい引き込む、より豊かな物語性を与えているように感じます。

さて、そんな『シャドウ・ラインズ』から、印象的な箇所をひとつご紹介。これだけでは、「これっていったいどういうこと?」となるかもしれませんが、気になった方は、ぜひ、作品を読んでみてください!

(引用)------------------------
かつて、それほど昔でない時代に、人々は、良識も良心も備えた人々は、本気で思っていたのだ―どんな地図もみな同じで、国境線には特別は魔法が秘められているのだ、と。暴力を国境まで移動させ、それに科学と工場で対処するのが称賛に値することだと彼らは信じていた。…いったん地図上に境界線を刻んでしまえば、きっと太古にゴンドワナ大陸がプレート移動によって分離したように、二片の土地は互いに離れていくのだろうと望みながら。自分たちが生み出したのが、土地の分離ではなく、それまで見たこともない皮肉な状況…であったとわかったとき、彼らはどう感じたのだろうか。地図に描かれた土地が有した過去四千年の歴史の中で、ダッカとカルカッタとして知られているこのふたつの場所が最も緊密に結びつけられたのは、国境線が引かれたあとのことだった。今やこの二都市はあまりに緊密に結びついているので、カルカッタにいる僕は、鏡をのぞき込むだけで、ダッカの様子がわかってしまう。つまり国境線が引かれてはじめて、ダッカはカルカッタの、カルカッタはダッカの、さかさまの像となったのだ。(365-366頁 一部中略)
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さて、アミタヴ・ゴーシュの日本語訳といえば、昨年、『大いなる錯乱』という刺激的なタイトルの評論が出版されました。こちらの内容にはまたあらためて少し触れてみたいと思います。


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