高専ロボコンを経て
前書き
ロボコンというものすごく長いテーマを1ページに納めることは不可能に近そうです。3年でリーダーになって自分が行ったことがたくさんありますので、そちらを時系列に沿って書いていこうと思います。
上層部会の設置
これまではリーダーの下に全員がつくというような形を取っていました。
それをこのような形にしました。すべてのリーダーに3年生を採用するということはせず、リーダーの中には2年生も含ませることにしました。
2年生も含ませたのは3年生なってからの1年という短い期間では、まだ技術も完璧に追いついていない状態での急なリーダーは難しいだろうと考え、経験をつませようと考えたからです。また、学年関係なくやる気と技術力で評価して行こうという考えがありました。
また上層部会を設置し、各班のリーダーを週1集まり、進捗やチームの運営に関して会議をすることにしました。
各班のリーダーには、それぞれの班員のほとんどに何らかの役職を持たせ、その部分における責任を負わせることにしました。
広報を始める
豊田高専では長年全国大会に出場していなかったこともあり、本来であれば高専の推しの一つであるロボコンの存在感が学校全体の中で薄いという問題がありました。そこで長年稼働していなかったTwitterを再開しました。
またそれまでは無かったチーム統一のつなぎを作りました。デザインや色は別の高専の真似をしました。
部員を集めるためのビラやポスターも一新しました。
チームメンバーの名刺まで作り、ブランド感を出そうとしました。(おかげで全国ロボコン交流会では統一感のある名刺になった)
2年も起用し、チーム運営側の人間が増えたおかげでこれまでは通常の事務に加え、様々な事がこれまでに無い速度でできるようになっていきました。
PDCAの開始
豊田高専では、オフシーズンには研究を行っています。
しかしこれまでは明確な目標はなく何となくこれについて勉強するというような形でした。誰が何を担当しているという情報もラインに貼られる程度でした。
オフシーズンには可能な限り技術や情報を吸収してオンシーズンには新な技術に挑戦することをやめようと考えてい。ました。そのため効率よく研究を進める必要がありました。
前年度の反省から研究の足りない部分を洗い出し、全国交流会で得たことを含め研究を、PDCAシートを作って管理することにしました。あえてデータで管理せずホワイトボードに並べて掲示し見れる形にしました。
また毎週金曜には報告会を設置しその週の進捗や問題を発表してもらい、止まっているところにはすぐに手伝えるようになりました。
これによりこれまでに無い数の、開発と研究が進みました。またこれまではデータ上で管理していた情報を全て紙に起こすことで、タスクが分けて考えやすく把握もしやすくなりました。
校内ロボコン
豊田高専では、毎年新入生勧誘という意味合いも込めて、校内ロボコンが行われています。これまではチームを2チームに分け二台のロボットを出場させていましたが、今年は3チーム出場しました。
これは可能な限り多くの人にアイデアだしから製作、改良まで流れで経験すること、また他の班のことを考えられる人間が増えた方がオンシーズンで動ける人が増えると考えたからです。
よって、1チームをミニマム化し設計もハードもソフトも基本1人ずつという形をとりました。
しかし3チームも作った為、予算の増加とスケジュールタイトによりかなりバタバタした製作期間となりました。その上、経験のあるものは指導側にまわり、あまりないものがロボットを実際には作ったため、大会ではあまり見せ場を作ることができませんでした。
slackとTimetreeの導入
チームが3チームに分かれたため、スケジュールや連絡をすることが難しくなりました。そのためslackとtimetreeを導入し、3チームのスケジュールをそれぞれ管理しました。この管理はどのチームにも所属していない上層部員が行いました。
意見書の提出
ここまでごりごりの上司のような感じで進んできてブラックかつ順調なように見えますが、ここで一度問題がおきました。
すでに引退した先輩が、みんな今の体制を不満に思っているということをみんなの意見を匿名でまとめて提出してきました。
いろいろ体制を変えた上、校内ロボコンも見せ場を作れなかったことに焦りを覚え、してくれたことだと思いましたが当時は結構答えました。
このときが自分のロボコン史上最悪の期間でした。
1週間後、意見書に対する回答をまとめ発表しました。
一番大きな変更は、上層部会に誰でも参加できるようにしました。
そもそも年齢は関係なくと言っておきながら上層部を固定しブラックボックス化したことがおかしいことに気がつきました。
そのころから上層部会が変わってきました。これまでは僕ばかりが提案をしていたのに対し、みんなが提案をしてくれるようになりました。
このころからチームが僕がいなくてもまわるようになってきました。
マラソン大会への参加
豊田高専では毎年冬に部活対抗駅伝があるのですが、学生会に行って文化部で初めて出場しました。
これもロボコンをアピールするためということで上層部会ででました。
バトンにはアルミの角管を使い、つなぎで走りました。冷たすぎて持てなかった覚えがあります。
僕も含め運動には慣れていないので、皆限界で走りました。走る前からもらうことは決まっていた文化部賞をもらいました。
メールインタビューの実施
個人が今何が出来て、今後何を勉強していきたいか、作りたいものなどを汁には実際に聞いてしまうのが一番だろうということで、部員全員にメールでアンケートに答えてもらうことにしました。
その結果は僕とマネージャーのみで共有し、タスクを振り分けるようにしました。
本大会
resumeにも書きましたので参照ください→resume
まとめ
まとめとありますが、ロボコン期間は本当に毎日が濃く、とてもすべてを書き切ることはできません。
大きな予算とチームを使って行うモノ作りは、一人や少数グループのモノ作りでは感じることのできない喜びと達成感があり、ほんとうに貴重な体験だったと思います。
チームでのモノづくりをいいものにするには、先ずいいチームを作らなければならないことを学びました。そしてこれをうまいことコントロールして行くのがリーダーだと学びました。
実際にガンガン引っ張っていくことももちろん必要だと思います。しかしメインはこういった人を増やすということが必要である気がしています。
このためには自分がタスクをこなすのではなく、タスクを振ることが重要であり、責任も同時にもたせることが大事だと考えます。そして定期的に全体にむけて発表する場を設けることです。
リーダーはむしろタスクを作る側だと思うからです。
ロボコンのような部活には賃金というものは存在しません。
だからこそ、まして年齢を越えてそういった役職であるとか、タスク丸っ切りそのまま任せるということが必要です。
そのためには、自分は常に仕事に余裕を持たせておき、サポートに回ったりしながら、個人が何がしたいかを知ることが大事だとおもいます。
そしてそれを踏まえて丁寧にタスクを振ります。
始めは大変でしたが、流れができて来るとチーム全体にいい流れが生まれ決めるのも楽になってきます。全体としてサポートしてくれるようになるからです。
※と書いてきましたが、あくまでロボコンを通しておもった個人の考えですのであしからず。
辛いこともありましたが、それでもまだ許されるならやりたいと思えるのは夢中になれる楽しさがそこにあったからだと思います。
当時読んだ本
「もしドラ」
「人を動かす」
「ファシリテーターとしての在り方」
などなど...
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