役者の魂の叫びを聞け!

The show must go on!

この英文、演劇人には大変有名な文です。劇は続けなければならない。いかなる時も。という意味です。如何なるトラブルがあろうと、劇は続けなければならない。演劇の本番中、演者はかなりの練習を長い期間しているため、大抵の場合はミスなどは起こることは無いのですが、仮にミスした場合にも、お客さんには分からないようにしなければいけないので、咄嗟に役者は修正をかけます。その場合はアドリブをするのではなく、どこかの台詞に咄嗟に繋げます。これは簡単に見えて、実は沢山の舞台経験がないと台詞が止まります。現に中学生の芝居では、このように台詞が止まることが頻繁に起こります。役者は大変なのです。皆さんが今まで見たことのある芝居も、実はミスがあったのかもしれませんよ。それを完璧にカバーするのがプロの技。まあ、プロはそもそもミスなんて滅多にしないのですが。

役者はつらいよ

さて、目次タイトルには辛いと書きましたが、正直辛くはないです笑。辛いというよりは、大変という表現が一番正しいです。前回、演出家の大変さを書きましたが、役者も当然のことように難しいです。演出家の要求する演技を完璧にこなすのは非常に難しく、妥協をすることは基本的に許されません。僕の経験上、一番役者が苦しい瞬間は、自分のしている演技との他人からの指摘のギャップを感じるときです。と言っても、おそらくこれは経験がない方には全く見当もつかないと思うので、詳しく説明させて頂きます。

演劇は当然のことながら舞台で行われるので、舞台に合わせた演技というものをする必要があります。それは、どの席のお客さんにも見やすい、面白いと思って頂けるような演技をすることです。そのためには、体を普段より大きく使わなければいけませんし、普通に歩く時も普段より大きく手を振り、大股で歩くこともあります。自分の中ではできているつもりでも、衣装などの関係でそのように見えないこともあります。見えなければ、例え自分でその演技をしているつもりでも、全く意味がありません。僕の部活では、公演後に必ずDVDを見て反省会をするのですが、その時に初めて自分の演技の実態を知るので、ギャップがすごい時は後悔しかありません。

それでは、何故演技をすることに取りつかれるのか。僕も留学に来るまでは、自分が演劇の沼に片足を突っ込んでいることに、全く気付いていませんでした。大切なものは、無くなってから気付く。というものでしょうか。演技をしないと、体の中のものを発散する場が無くなり、以前より少しばかり気分が下降気味になります。運動をすることでは発散できない普段の生活のストレスや、モヤモヤをすべて台詞に乗せて、大声で演技することの素晴らしさは、深めれば深めるほど気持ちよくなっていきます。また、正解がないからこそ、どんどんプロの方の演技などを見て研究し、それを目指して練習に励むことができるのです。そして何よりも、終演後のお客さんの大きな拍手、それを追い求めて僕たちは、青春を捧げて、熱を込めて、日々練習に励んでいます。

お後はよろしくねぇんだよ!

落語などで使われる、「お後がよろしいようで。」という言葉がありますが、この言葉は、あとの方々が素晴らしいので、邪魔者の私は去ります。という意味なのですが、僕は演劇を作る者は、この言葉は禁句だと断言できます。自分たちより面白いものを作ってる人たちがいる。そのような蛇足なことを言っていてはいいものは作れませんし、お客さんに申し訳がないです。僕は常に、「お後はよろしくねぇ!俺たちが一番良し!」そう言い聞かせています。演劇は魂を表現する場です。作品が完成したのちは、全て気持ちで良し悪しが変わってきます。皆さんも、演者の魂を感じ取ってあげてください。皆様の拍手が達成感となり、また新たな作品へと、足を動かさせるのです。

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