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感情:制御不能な不完全細胞

前書き

更新をサボっていた理由は勿論あります。以前までは、毎日更新をして数をこなすことを目標としていましたが、それでは元来の目的である、文章力の向上は達せられないと気付きました。そのため、これからは十分と書きたい内容を見定め、じっくりと自己考察をしてから書こうと決めましたので、もし足をお運び頂いたのであれば、最後まで読んでいただきたいと思います。

感情をたしなみ、感情に翻弄される

さて、今回は感情について書きたいと思います。この議題を選んだ理由は、やはり留学中の身である自分の立場では、自分の感情と向き合う機会が非常に多く、陰鬱な気持ちに直面することで自分の弱さを痛感しました。そのような経験をするうちに、以前から分かっていたのですが、感情というものはこの世で一番の謎の生命体であることを理解しました。それは宛らバクテリアのようなものです。解説いたしますと、感情は嬉しいことや楽しいことがあると、良性バクテリアになります。しかし、ほんの少しネガティブなことを受けるだけで、簡単に悪性バクテリアに変貌してしまうのです。実態もなく、自分でコントロールすることも容易ではありません。ときに暴走し、ときに自分の制御を越えてしまう異様な存在。今回のタイトルの由来でございます。

迷走トンネル入り口

感情について書くためにはデータが必要ですので、自分のことを書き記していきたいと思います。正直、今僕の感情は迷子なのです。子猫さん状態なのです。言語が変わると性格が変わるということは、薄々気付いてはいたのですが、それが確信に変わったのは意外に最近のことであり、4月あたりでしたと記憶しています。自分のプライドとして、こういうことには気付けるタイプだと思っていたので、このタイミングまで理解していなかったのは恥ずかしい限りなのですが。日本にいた自分と、オランダにいる自分の性格が180度違うため、僕はそのギャップに翻弄されそのことを理解していなかったのかもしれません。性格が変わるということはどういうことか。読んで文字の通りと思われるかもしれませんが、僕はもう幾分か掘り下げ、変化の先に見えたものを明らかにすることができました。海外に行くことによって変わった性格の果て、それは自分が元来どのような人間だったのか。どのような性格、心情を好むのかということを晒してくれるものでした。日本にいた頃の僕は、かなりおしゃべりな人間でした。その反面、一人でいることが好きな人間でもありました。一人が好きな人というのは、自分の興味のあることに対する優先度が他人と遊ぶことなどに比べて高く、一人でいることに寂しさをほとんど感じないのです。常に友達に囲まれている人たちにとってみれば信じられない話かもしれませんが、これは紛れもない事実です。海外の人たちは当然ながら、笑いのツボや、興味のあるコンテンツなどが違うため、そもそも言葉ができたところで、話を続けることがそもそも難しいのです。

以前の留学の稿で記したかもしれませんが、今一度、初期の僕の行動を回想いたしますと、とにかく友達を作ろうと奮闘していた僕は、手当たり次第という感じにクラスの子に声をかけまくっていました。しかし、いきなりクラスメイトになった得体も知れない外国人に話しかけられ、「うぇーい!俺らフレンズ!」となる方がおかしな話なのですが、出発が遅かった僕は、先に出国した他の派遣生に追いつきたい一心でした。

ではなぜ僕が初期の頃はいろんなクラスメイトたちに話しかけまくっていたのか。そもそも一人でいることが好きな僕は、日本でも親友と呼べる存在ははっきり言っていません。日本での僕の友人関係の構図は、わかりやすく広く浅いものでした。それどころか、高1になるまでは友達もほとんどいなかったです。それから友人関係が一気に広がり、積極的に友人関係を広げるきっかけとなった出来事がありました。ズバリ、僕の利用している留学斡旋団体AFSのオリエンテーションでした。しかし残念ながら、その内容はAFSの所有財産なので話すことができません。しかし確実に、これをきっかけにして僕の性格は積極的になりました。このことをよく覚えておいてください。

絵具は剥がされました

高1の8月に人格変貌を遂げた僕は、高2の8月まで前述したとおりの性格で過ごしてきました。変貌を遂げて一年近くも経過していれば、当然この性格に疑問を持つようなこともないですし、この積極性は持ち合わせのコミュニケーション能力であり、コミュ力は高いんだ。という意識、いや、妄想を創造してしまっていました。コミュ力が高いというのは、実際あまり間違ってはいなかったのですが、それと共に創造した虚像の自分が伴っていたことの方が問題でした。以前のnoteにも書きましたが、実際に上手くいかない期間が過ぎていくうちに、僕は少しばかり燃え尽き症候群のような状態になりました。そして僕の偽の姿は段々と消えていきました。それは宛ら、漆が落ちて美しさを失った銀閣のようでした。しかしながら、今の自然体で学校で過ごしている自分の方が性に合っていますし、初期の緊張状態も時間の経過がなれと共に解消してくれるものなので、無理して友達を作りに行ったのは間違いなく失敗だったと確信しています。一番大切なことは、自然体の自分をさらけ出し、それを受け入れてもらうことで友達を作るということなのです。これは日本でも同じです。留学生の留学先での友達を、学校:留学生の友達比で表すと圧倒的に留学生の割合が多くなります。少し考えればこれは当然のことで、共通点があり、悩みも似ているので当然です。僕はそこを理解していたものの、学校で友達が沢山いることこそ正義。という頭の堅い考えをしていたので、非常に苦労しました。そうやって無理をしていたため、僕の嘘の絵具は剥がれ落ちたのです。

最後に

僕がこのことから一番伝えたいことは、皆さん常に自然体で過ごすことが大切だということです。人間ですから、全ての人と気が合うわけではないので、付き合いたい人を選んでもいいということです。皆さん、自分の気持ちとの対話は大切に。

まあ、仕事は話が別ですけど。

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