演劇における台本制作について

今回はタイトルの通り、演劇における台本制作について、僕が思うことを綴っていこうと思います。僕は現在留学中なのですが、今夏に部活に復帰してからのことを考え、暇な時間を使っては台本制作をコツコツと進めております。私は一度、中学三年次に台本を制作したことがあります。しかし、当時は現在よりも文才がなく、突っ込みどころが多い作品になってしまい、悔しい思いをしたことを覚えております。本来プロの劇作家さんは、一年近くの歳月をかけて作品を作り、そこから尚演出などをしていく中での変更、演者から指摘された矛盾などを解消していき、ようやく作品になるのです。当時の僕は、3月半ばに作品の構想を思いつき、7月末の大会の上演作品として執筆していたので、今考えればもう少し寝かせておくべきだったのかもしれません。しかし、僕の学校の演劇部はありがたいことに、年に4回ほどの公演をさせて頂いてることに加え、毎回自作の新作を作っているため、寝かしておくということは簡単にはできないのです。そのため、僕はその作品は構想から執筆までの期間、わずか2ヶ月という前代未聞と言っていいほどの短期間で提出しました。部内のコンペを勝ち抜き、公演に至りました。その作品は、東京都中学私学大会で1度目、文化祭で2度、大学インターカレッジのエキシビジョンとして1度、新入生歓迎会と、計5度の公演をいたしました。これは近年の我が部活ではかなりの数であります。という多少の自慢はこのくらいで自重いたしまして、本題に入りましょう。

物語を作るのは難しい!

皆さん、物語を自作したことはございますでしょうか。僕の母は、「人は人生に一度はドラマが作れる。」と、僕に言い放ちました。それは強ち間違いではないと思います。人生経験が多いほど、沢山のためになることも経験しますし、その説得力や深さも増すでしょう。現に、ただの一般人だった高齢者の方の出版した本が、稀にベストセラーになることがあります。しかし、演劇における物語はまた本とは違います。それが難しい理由は、登場人物の周辺で巻き起こることが如何に魅力的か。その人物のしていることは自然なのか、なぜその行動に至ったのか。というような具合に、色々なことを考え、自分が作者として描きたいこと、舞台で演出する際のイメージなども考慮に入れなければいけないことです。演者にどのような角度から突っ込まれるのかは全く分かりません。また、面白い作品であるか。成功したかは、作者だけでなく演者ですら簡単には分かりません。お客さんに面白いと思ってもらわなければ、成功とは勿論言えないです。これだけでも、経験のない方はおそらく、「?」という感じだと思いますので、簡単に説明してみます。

誰でも一度くらいは、言葉では表現できない気持ちよさ、五感を刺激されるような快感を経験したことがあるでしょう。脚本家は、そのような経験を演劇で表現したいと思い、台本制作を始めます。この時、自分でなんとなく感じた気持ちよさを、言葉に落とし込むことは、非常に難しいのです。これを納得いくまで表現を捜して書くこと。尚且つ物語の中にそれを組み込み、話自体も面白くする。それが非常に難しいのですが、それができたときの快感は、何物にも代えがたく、その快感が麻薬のような気持ちよさになり、また脚本にのめり込んでいくのです。

書くことで何を思うのか

僕もそのような、自分が描きたいことが書けた時は、最高に嬉しいですし、その魅力を目指して今も執筆しています。この感覚はなかなか経験する人は少ないと思います。その感覚を知っているだけで、僕の人生は凡人よりも豊かである。という確信を持っています。五感のスイッチを常にオンにしていると、世界の見え方が変わってきます。そのスイッチをいれることができるのは、自分の経験、そして日々の思考です。僕も前述したような気持ちよさは、今年に入るまではほとんど感じたことはありませんでした。しかしある日、心の中に他人に理解できないほど強いアイデンティティを得たい。そう思いました。どうすればそれを得れるのか。考え始めると、すぐに世界の見え方が変わりました。夜の街で聞く音楽。潮の匂いを感じながら漕ぐ自転車。すべてが心地よく気持ちよく、されどすべて違う感覚です。この感覚を得た僕は、今は誰にも干渉されない自分の世界があります。それを独り言のようにここに記すのは、オタクかもしれません。それでも構わないのです。だってここは、僕の世界だもの。

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