kaishin

2024年4月から大阪在住。

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    初めて関西エリアにやってきた大阪支店長の日々

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大阪22日目は、洗濯した

3泊4日の出張から帰って最初にやらねばならないのは何はなくとも洗濯である。 
昼間着ていたYシャツ、下着、靴下に加えて、夜用のTシャツやジャージ、朝ランで使ったランニングウェアもある。スーツだって雨や汗をだいぶ吸ってしまったので、わしわしと洗いたい。 宿舎にあるのは小さな洗濯機なので1回では終わらず、2回転。天気が不安定なので部屋干し。すると、ああ、いかにも”単身赴任”な感じw

まあ家事全般、そんなに苦痛じゃないものの、できれば休日にのんびりコーヒー飲んだりしながら掃除と

    • 大阪21日目は、県人会の歴史を想像した

      近畿県人会の皆さんは、第二次世界大戦中〜戦後生まれ(団塊の世代あたりまで)の方が多い印象(統計データがないので)。西暦で言えば1940〜1950年頃生まれ、年齢にして70代半ばから80代半ばあたりではなかろうか。 聞いた話半分、想像半分で書くと、この世代の皆さんの多くは、まだまだ日本が豊かになる前の時代に集団就職(1954〜1977年)などで近畿エリアへやってきて、生活の拠点を築いてこられたようだ。 近畿県人会は設立して70年近いというから、たぶん初期の集団就職組が就職し

      • 大阪20日目は、高校球児たちと触れ合ってきた

        大阪に赴任して以来、近畿県人会の幹事の皆さんと交流する機会が多い。着任早々、歓迎会を開いて頂いたところからスタートし、今回のふるさと訪問ツアーに向けた協力もしてきた(自分というよりうちのスタッフだが)。 県人会の皆さんの故郷への想いは、そんな中でたびたび感じることもあったのだが、富島高校を訪問した際により明確にその熱量に気付かされた。 ふるさと訪問ツアーは、もちろん皆さん自腹で参加されているので、ふるさとの魅力再発見といった観光訪問なんだろうと思っていた(実際、新しくでき

        • 大阪19日目は、神戸からフェリーで宮崎へ

          早くも2度目の宮崎出張(この後は当面予定がない)。今回は近畿県人会が主催するふるさと訪問ツアーへの同行。総勢70人の皆さんと一緒に、神戸港発着の宮崎カーフェリー旅である。 行程は ・金曜:夕方発 〜フェリー泊 ・土曜:朝着〜県内旅行〜ホテル泊 ・日曜:県内旅行〜夕方発〜フェリー泊 ・月曜:朝着 という感じ。 寝ている間に移動して、たっぷり1泊2日を満喫できる。しかも、新船になって間もない宮崎カーフェリーなので、安心・快適な船旅だ。逆ルート(宮崎港発着)では、これまで2度ほ

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        記事

          大阪18日目は、プロモーションについて考えた

          古い話だけれど、かつて「みやざきアピール課(現・国際経済交流課)」の担当だった頃は、寝ても覚めてもプロモーションのことを考えていて、官民問わず、いろんな媒体(テレビ・新聞・雑誌・交通広告・ウェブ・SNSなど)の事例を追いかけ、何か参考にできるアイデアはないかと思っていた。 それから12年。 県内広報的なことは多少あっても、がっつりプロモーションをする仕事がなかったので、すっかり思考が鈍っている気がする。 大阪で暮らす生活者として、どんな人が宮崎の情報を待っているのか。どん

          大阪18日目は、プロモーションについて考えた

          大阪17日目は、十三で立ち呑んだ

          そもそも十三を「じゅうそう」と読むことすら知らなかった大阪ビギナーなので(初代・ヤマト艦長:沖田一三はじゅうぞう、だしな)、その場所がサラリーマン・パラダイスなんだということなんぞ知るよしもなかったのである。 連れて行ってくれたのは、さとなおラボのOB3人。 ほぼ初対面なみなさんだったが、同じラボOBということもあって歓迎いただき、さっそくディープ大阪を連れまわし・・・違う、ご案内して頂いた。 駅前のせんべろ立ち呑みからスタートし、歴史を感じさせる大箱の角打ち、そして街

          大阪17日目は、十三で立ち呑んだ

          大阪16日目は、1ビルのトイレでほっこりした

          2週間の大阪生活のあと、2泊3日で宮崎出張。ついこないだまで毎日通っていた県庁なのにどこか居心地の悪さを感じるのは不思議なもの。ワタシハモウココノヒトデハナイ感。 そういえば先日の飲み会で、某副知事が「あなたは都農に行ったり、大阪に行ったり、いろんな経験ができて羨ましい。私は本館2Fのトイレを20年近く使い続けている」と仰った。 解説すると、うちの県庁は建物が10棟ほどに分かれていて、一般的にはいろんな部署を異動するので、異なる業務・異なる建物・そしてもちろん異なるトイレ

          大阪16日目は、1ビルのトイレでほっこりした

          大阪15日目は、「華」の最後だった

          朝から県庁の関係各課を回って、大阪の状況説明と今年度の方針について粗々の打合せ。農産物、物産、観光、関係人口、移住、企業誘致、木材。時間が足りなかったが、いろいろな課題感を聞いていくうちに当面注力しないといけないことが整理できた気がする。 それはマンパワーの適正配分。わずか10人ほどのミニマムな部隊なので、できることに限界はある。一方で、扱っているテーマは多岐に渡る上に、万博を控えて新しい課題も出てきている。全方位に目配せはしつつ、グッとフォーカスを絞っていくことが肝要かと

          大阪15日目は、「華」の最後だった

          大阪14日目は、成瀬に天下を取られた

          月曜日の所属長会議に備えて宮崎へ前入(というか帰省?)。 わずか2週間だが、大阪での生活基盤が整ってきたこともあって、すでに「懐かしい我が家へ」という気分がある。 家についてみると、2週間前に着ていたものが洗濯してあり、読みかけで置いていった本がそのまま置いてあり、4月2日に(大阪に向かった翌日に)タイムスリップしたような不思議な感じがする。変わっていたのは庭の芝が伸びていたこと、三日坊主めくりカレンダー(3日に1枚めくるタイプ)が数枚切り取られていたことぐらいか。 次

          大阪14日目は、成瀬に天下を取られた

          大阪13日目は、大阪城まで走った

          毎朝のランニングを始めて560日余。もはや生活の一部である。無理をしないたったの3km走。このぐらいが毎日休まずに続けられる程よい距離かなと思う。 とはいえ、週末ぐらいはもう少し筋肉をいじめても良いのかなと思い、10km前後を走ることもある。 大阪に来てからは、宿舎のすぐ横を流れる旧・淀川沿いを走っている。先週末は土・日ともに仕事だったこともあり気持ち的にパツパツで、余力なし。今週末になって、ようやく長い距離を走ろうという気持ちの余裕が出てきた。 目指すは大阪城。河川敷

          大阪13日目は、大阪城まで走った

          大阪12日目は、友達とご飯を食べた

          大阪に来て10日余。この間、会食とか職場の歓迎会のほかは、基本、朝も昼も夜もひとり飯の日々。まあ、ひとりメシも全然嫌いじゃないけど、たまには仕事抜きで人と話をしたいもの。 ということで、ようやく友だちふたりと晩ご飯を食べに行くことができた( ´ ▽ ` )ノご飯は、楽しい会話をしながら食べるのが良いよね(再確認) 今回ご一緒したふたりは、さとなおラボ(という勉強会)の同期。彼らは関西クラスで、ぼくは東京クラス(オンライン主体の勉強会だけど一部リアル講義があってその開催地で

          大阪12日目は、友達とご飯を食べた

          大阪11日目は、太陽のタマゴが解禁だった

          朝3時起床して朝ランした後、身支度を整えて大阪市中央卸売市場へ向かう。宮崎の完熟マンゴーのブランドである「太陽のタマゴ」初競りに出席させていただいた。 26年前に認証をスタートさせて以来、生産者はもちろん、JAや市場関係者などの御努力が実を結び、完熟マンゴー・太陽のタマゴは宮崎を代表するブランドフルーツへと成長してきた。販売初期、試食ばかりで実売に繋がらなかったという苦労話などをお聞きし、改めてブランドとは信用の積み重ねであるなと感じる。 今日の大阪市場では、初競りで「5

          大阪11日目は、太陽のタマゴが解禁だった

          大阪10日目はタイガース戦の中継を観る

          1年後に控えた大阪万博。報道では「盛り上がりに欠ける」と言われている。 実際、大阪に来てみた印象としては、あちこちにキャラクター「ミャクミャク」の姿を見かけるし、万博の話題は(業務の性質上)よく出るし、まあこんなもんじゃないかと思う。ただまあ「あと1年」と考えると、決まってないことが多すぎるのは心配。ここからぐるぐると巻いていかないとなあ。 しかし、よく考えてみると、この10日間、あまり「一般的な大阪人」と触れてきていない気もする。もっと意識的に市民感覚をリサーチせねば。

          大阪10日目はタイガース戦の中継を観る

          大阪9日目は、古代メキシコだった

          代休をとり、国立国際美術館で開催中の「古代メキシコ 〜マヤ、アステカ、テオティワカン〜」展に行ってきた。 メキシコには、ピクサーの映画「リメンバー・ミー」でも描かれる「死者の日」でうっすらと興味を持っていた。日本でもお盆に死者を迎える風習があるが、こちらの死者はガイコツ。よりリアルな死者と年に1度対峙し、生きる喜びを分かち合う祭のようだ。 この特別展は、東京での開催時点からチェックしていたのだけれど、タイミングが合わずに見逃し、福岡でも見逃し、なんとか巡回の最終開催地であ

          大阪9日目は、古代メキシコだった

          大阪8日目もテレビを見る時間がない

          大阪に来て以来、ほとんどテレビを見ることがない。朝ごはんを食べる間にニュースを流して横目で見ている程度だ。 そもそも、家にいる時間が少ない。たまたま土日にも行事があったために8連勤でもあったし、平日の夜は夜で、日用品の買い出しなどの雑用に追われて、家でゆっくりする時間は皆無だった。 それに時間があるなら、もっと街のことを知りたいと思うから、職場周辺、宿舎周辺をひたすら歩き回ってしまう。そりゃ歩数アベレージで2万歩近くいくわな。 とはいえ、関西エリアは、MBS、読売テレビ

          大阪8日目もテレビを見る時間がない

          大阪7日目は名古屋へ

          県人会、という組織がある。 同郷というのは、冷静に考えると、ただ同じ空間(環境)を共有していたというだけなのだが、不思議とそれだけで心が通うものがある(気がする)。 関西エリアはもちろん、東海エリアにも県人会はあり、下部組織である各地域の県人会などが活発に活動されている。 中心にいらっしゃるのは、戦後の集団就職で10代のうちに働き始めた世代の方々。右も左もわからぬ地域でどれほどのご苦労をされたことだろう。そんな中で同じ訛りで話す同郷の人たちがどれほど心の支えになったことだ

          大阪7日目は名古屋へ