私はついている、という人

地域包括ケアの仕事を始めて以来、先進的な取組をしている多くの自治体職員や医療・介護関係者に会って、どうやったらそんな凄いことができたのかと話を聞いてきた。あるとき、そういった先駆者たちが共通して語る言葉があることに気がついた。

「私はついていたんです」

たまたま事業所の人が協力してくれて、たまたま熱心な教授を紹介されて、たまたま他業種の研修会にお誘いいただいて・・・それがきっかけで何かを成し遂げることができたのです、私はついていたんです・・・と。

最初は謙遜かと思っていた。みんな奥ゆかしいな、人格者だな、と思っていた。違うのである。

先進的な取組をしている人たちは、最初から天才的に閃いたり、オリジナリティな論理を駆使したりして、何かを成したのではない。ごくごく普通に、もがいてもがいて、生みの苦しみを味わっている。

「従来のやり方ではどうにもうまくいかない」「もっとうまくやれる方法があるんじゃないか」「これまでは何が悪かったのだろう」「次はこの方法を試してみようか」・・・永遠とも思える試行錯誤を繰り返している時、ふと目の前を通り過ぎる「何か」に導かれるのだ。

一瞬のラッキーを呼び込むような、発見するような、たゆまない努力を重ねているからこそ、その時がやってくる。必死で「何か」を探し求めているから、天使の前髪を掴むのだ。

考えてみれば、ぼくにも何度も天使が通り過ぎている。

・のちに宮崎のドクターヘリを牽引することになる金丸医師と出会い、そして出会ったその日にヘリ救急の有効性を教示できたのは、”たまたま”上司の随行で金丸医師の勤務地に出張しており、上司の行事が終わるまで2時間ぐらいの空き時間があったからである。

・口蹄疫からの復興を目指していたあの夏、TBSオールスター感謝祭にて、1晩で宮崎牛のセットを9000万円売り上げることができた(TBS通販最高記録)のは、”たまたま”その半年前の同番組で、松坂牛を通販していたのを見ていたからである。

・全国よりもいち早く自立支援型・地域ケア個別会議をスタートさせ、本家・埼玉県和光市からの支援を受けることができたのは、”たまたま”国の研修会の打上の2次会で、先行していた大分県の担当者と隣の席だったからである。

・・・ううむ。ひとつひとつのエピソードが語れば長い「わらしべ長者」のような話なのでダイジェスト版では意味がよくわからないな。また機会があれば。

兎にも角にも、「いい仕事」のスタート地点には、何らかの偶然が作用しているものだ。その偶然をしっかり掴んでカタチにできるかどうか。それが行政マンのスキルのひとつでもあろうと思う。

余談だが、少し前、NHK「プロフェッショナル」に登場した宮崎駿監督の言葉が話題になっていた。紙をパラパラと行きつ戻りつしながら、アニメの原画を描いている宮崎監督はしきりに「面倒くさい」を連発する。

「面倒くさいなあ」「あー面倒くさい」「面倒くせえぞ」

でも最後に監督はこう呟く。

「世の中の大事なことって たいてい面倒くさいんだよ」

「ついている」と「めんどくさい」。ぼくにはこれが同じようなことに感じられる。仕事に真摯に向かい合い、わかったフリなどせず、泥臭く、もっと!もっと!と、もがき苦しんだものだけが理解できる世界なんじゃなかろうかと(上から目線で)思うのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?