子どもを産む資格について
いまわたし26歳で、同級生に子どもを産んだ人もいるけど、自分には育てられる自信がなくて。
3日前に、大阪2児餓死事件を元にした『子宮に沈める』って映画観たら余計に自信がなくなった。
子育てに自信がないから母親に感情移入して見てた。子どもの純粋さが苦しかった。
子どもを立派に育てるには「安定した収入」「安定したメンタル」「適切な教育方針」が必要なのではと考えたけど、それはどこまで持てたらいい?
「医者になりたかったのにこの家にお金がないから人生狂った」と泣かれたら?
はたまた「小さい頃からこのスポーツを習わせてくれてたらプロを目指せたのに」と恨まれたら?
「もっと放っといてほしかった」「もっと構ってほしかった」「もっと」の願望がどこに向かうか予測できない。
ただでさえ子どもを育てられる自信がないのに、そう言われてしまったらすべて崩れ去りそうな気がする。
産まれたからには幸せにしてあげたい。けど、どこまでいっても子どもに幸せを与えられない気がした。
今日、子どもを産む産まないの話になったので、2人の子どもを持つ先輩に「どういう人が子どもを産んでもいいと思いますか?」と聞いてみた。そしたらこう答えてくれた。
「まず親っていうのは子どもと一緒に成長するものやから、最初はみんなちゃんとした親じゃないよ。部長に任命される人だって、任命されてから部長の器になっていくんやから。そんで立派な親やったって分かるのは子どもが成長したあと。
良かれと思ってスパルタ教育して、その反動でその子が魂の抜けた人になればそれは良い親じゃない。逆に多少放任主義でも子どもが立派に育ったらその子にとって良い親やったってこと。運もあるんやろけどね。極論、誰も子ども産んだらあかんし、誰でも子ども産んでいい」
と言われてすごく腹落ちした。
たしかにいま持ってる自分の状況も、産まれた子どもの環境もなにも保証されるものはない。
誰一人として「確実に子どもを立派に育てられる」人はいない。
子どもを産む資格はみんな持ってないし、みんな持ってる。
産む前に子どもが幸せになるかは誰にも分からない。
わたしの家もいろいろあって親のことを恨んで、もっとこうしてくれたら生きやすかったのにと思うことはあるけど、親は嫌いになれんし、生きづらいながらもいまの人生気に入ってるし、結果がどうかは分からんよね。
まだ子どもを産む自信はないけど、もし産むことになったら今日の言葉に支えてもらえる気がする。
サポートしてもらえたらうれしすぎてヒョーー!!ダンスダンス!!!🕺🕺🏻🕺🏼 そのあとはサポートしてもらった画面をスクショして何回もニヤニヤします。