見出し画像

2024/3/13 げんしけんの思い出

小林私のげんしけんについての記事を読んだ。
げんしけん、高校の時、げんしけん二代目がアニメでやっていたので何の気なしで流して見ていたが、気になり前作品の、げんしけんから見てみる事にした。最初は、楽しく見ていたが、途中からの展開がきつかった、面白くないとかではなく、見ていて「おまえの可愛い自意識の大きさは、どんなもんだい?ええ?」と責めたてられている気がして、しんどくなってくる。そして、裏主人公と思われる班目が自分のオタクとしての自意識をこじらせ、それが、裏目裏目に出てしまい、まわりとの関係がこじれていってしまう感じが共感してしまう部分もありしんどい。
だが、そんな、臆病な自尊心と尊大な羞恥心を飼いならし、可愛がっていきたいと、今では、げんしけんの事を思い出しながら思う。虎になり泣かないように。

アニメを見ていた当時、高校生の僕は大学にいけばこんな感じでカオスで辛く、しかし、おもしろおかしく、オタクでも楽しめれる場所なのだと期待に胸を膨らましていたと思う。だが、実際は全然そんな事は無く、現代視覚文化研究会の様なサークルは存在せず、音楽が好きだったので、軽音部に入った。しかし、最初のサークルの合宿でもじもじしていると、全然しゃべらないという理由で人狼にて一番に先輩から殺される事になるのだ。期待し頭の中で渦巻き、大きくなった妄想は錯覚の海の中でした。
「渦巻いた錯覚の中、目の前は錯覚の海」カウパーズもそう歌っている。
あの時ばかりは、自尊心を解き放ち、虎になれ、そして、まわりを無茶苦茶にした後に訪れる静けさの中でひとり泣け。過去の僕。

げんしけんは、そんな期待をもってしまう様な漫画であり、オタクのマイノリティを面白く、また、こんなオタクの僕って奴はこうなんですよ~と情けなくニヒルに微笑むのがカッコいいと思っている自分をお前はみんなが熱く、時には真剣に人や趣味に向き合っている時に何様なんだと突き付けられてくる気がする作品だったと思う。もう一度読んだり、見たりするのは勇気がいる。勝手な解釈だが俺ガイルの八幡は、見たら自責の念に駆られると思う。

IFストーリーとして書いていると思われる次の作品「Spotted Flower」も出ているが、怖くてまだ手が出せていないと、小林私も言っていたが、確かに僕も、怖い。あの空間の中にいない自分と、いたとしても何か楽しめずいる自分を見つけてしまう気がして。面白いとは思うのに。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?