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ゼロから始める友達作り生活 第1話

よく人は「社会に出たら友達が少なくなる、いなくなる」と口にするが、新社会人としての生活を遅めにスタートさせた今、想像以上にそれを痛感している。
休日になると普通の人は友達と「どこかに飯いかね?」と誘う人が最低2,3人居て、居なくてもソーシャルゲームやネットゲームで「クエスト行こうぜ」と誘える人が最低2,3人居る、らしい
どちらも持ち合わせていない僕はひたすらテレビを見るかビデオを見るかオフラインのゲームをやるかひたすら街をブラブラするかしかすることがない。それでもまぁいいかと思える日々もあるが、1ヶ月に1度のサイクルで猛烈に寂しくなることもある。そんな時どうすればいいか本当に分からなくなって、壁を見つめてる日々が今も続いている。

どんなに「こいつはクソだクソだ」「はいこれクソゲー確定」とつまらない悪態をついている人だって、リプライを飛ばしあう関係の人が最低でも2,3人居て、悪態をつく仲間がいて、そのサークルの中が妙に居心地良くて出れなくて、似たような価値観しか産まなくて、ずっとクソクソ言い合ってるような関係すら作れない僕…と責め続けてもしかたないので、この4か月、僕なりに友達作りのために少し動いてみた。

今まで触れてなかったものに触れてみた。ツイキャスというものに触れてみた。前々から「配信」というものが僕には何がいいのかよく分からず、それどころか画面見ながらボソボソ配信する様が気持ち悪いとさえ思っていた。でも「リアルタイムでコメントのやりとりが出来る」「マイクがあれば会話も出来る」という点に魅力を感じた。寂しいと思ってる時は大抵「会話したいなぁ」と思ってることが僕の場合多いからだ。

僕は絵を描くことが少なからず趣味なので、お絵かき配信してる人のところにお邪魔した。するとその配信してるページに入る度に「1名さんいらっしゃーい」と言われた。1名というのが僕のことだとすぐ分かった。(あ、僕今入ったことが認識されてる…)それは嬉しくもあり、怖くもあった。
最初の数日は配信してる様をひたすら見守る、ROM専というものになっていた。どうやらコメントをしている人は常連もいるが、初見という初めてその配信に来た人も毎日どこかしらに1人や2人紛れていることも分かった。(あぁそうか誰しにも初めてはあるもんな)と勇気を貰い、ある日勇気を出して配信者にコメントをした。寂しくてたまらなかった4月、僕はとにかく会話がしたかった。確実に会話が出来そうな人、つまり今誰も見てなくてコメントを待っている人の所にお邪魔して「初見です、こんばんは」と打った。

「あ、初見さんこんばんは~」と緊張交じりの声がした。とにかくそこから会話を広げなければ…。いつもならこの会話を広げる行為が恐ろしくて、めんどくさくて、つい人との接触を避けがちだが寂しさMAXの僕はダダダダとコメントを打った。「この絵のキャラはあの作品ですか?」「このBGMあれですね、僕も好きですよ」等だ。そこから会話がポツポツと弾んでは消え、弾んでは消え、ぎこちない空間になる場合もあれば、昔やってた格闘ゲームが一緒などの意外なところで趣味が一致して会話がボンボコ弾む場合もあった。その時は気が付けば3時間以上パソコンでチャットを繰り広げており、夢のような時間だった。この人となら友達になれるかも…という思いもあった。また配信してたら来ようと思った。

しかし、その人をフォローしたはいいものの、その人は恐らく大学生。平気で深夜2時に配信を開始したりする。あの時はたまたまゴールデンタイムの配信だったが、いつもは深夜に配信をする人だったのだ。さすがに睡眠時間を削ってまで配信を見る気力は無い。何よりいつもの仕事が神経を使う仕事なので睡眠不足はかなりの痛手だ。そんなこんなでその人との交流期間の空白は広がる一方だった。

そして、ようやく配信が見れる時間帯が一致した時、通知バーをタップする指が止まった。ひたすら不安になった。「向こうは僕のこと覚えているだろうか」
何より、その配信者の人気が上がっているのか、以前にも増して人が集まっている。あの日のような1体1の会話はもう出来ないだろう…。
配信とはもともと、大勢の人が1人もしくは数人の人に対してコメントをして、交流を深めていくツールだ。この形が正しいはずだ。1体1の会話を楽しみたい僕がアブノーマルなのだ。

その後僕は他の「アニメ」や「映画」のカテゴリで1人で配信してる、あまり人が来ていなさそうな人を探して、1対1で会話する行為を繰り返していた。その行為が本当に好きならそれで完結していたのだが、すぐに疲れてしまった。「初見です。こんばんは」とコメントして「何あんた?」と反応されないかという恐怖を乗り越え、(会話が途切れて気まずくなったらどうしよう…何か会話のネタ探さなきゃ…)という恐怖を乗り越え、その先にある趣味の一致などの楽しさに辿り着くことなんて、そうそうない。

この配信というツールを楽しむには、会話が途切れても気まずさを感じない寛容さと、1対1でも1対3でも4でも10でも会話が楽しめる柔軟さが必要だ、と感じた。

なんかもーすごい偉そうに言ってるけど、これは僕に合わなかったとかそういうことでもなく、寧ろ僕の使い方がおもっくそ間違ってるだけだ。コメントするだけでなく、配信する側に回るのも手だし、覚えてなくても承知の上でコメントして交流する手もあった筈だ。

それをやらなかったのは僕の勇気と努力が足りなかっただけだ。

スタート地点に立ったのにやめちゃったパターンその①だ。
(ちなみにこれ以外のパターン今のところありまへん)

配信する側に回るという手を実行しようかと思うこともあるが、いざやったところで、見てくれる人はどれだけいるだろうか、ゼロから始めたとして一体何人が見に来るんだろうか、もしかしたら誰も来ないんじゃないか、そもそも何でゲームやってるところ配信するんだ、自分のプレイは、配信は、人を楽しませることがあるのか?というか需要あるのか?あれ?配信ってなんでやるんだっけ?という考えが堂々めぐりしてしまう。

この辺をなんとかすれば、対人関係がもう少し作れる可能性が出てくると思うんだけどな…。

(つづく)

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