欲望は小出しにしましょう。間違っても押さえてはいけません。

「毒も喰らい栄養も喰らう。両方を旨いと感じ血肉に変える度量こそが食においては肝心だ。」某マンガの一節である。たかが創作と侮るなかれ、さもなくばどうして世の中に煙草や酒といった嗜好品が溢れているのか講釈願いたい。つまるところ私が言いたいのは禁じられたものほど人にとっては喉から手が出るほどに求めているものなのである。

誠に勝手ながら私情を少しばかり説かせていただくと、東ティモールの食事に当たったのか下痢と頭痛と発熱でしばらく床に伏す日が続いていたのである。皆ここぞとばかりに一様にありがたい助言を寄越してくれる。「薬飲んだ?」「お腹に優しいもの食べるんだよ」「水たくさん飲んでね」無論優しさが身に沁みるし気持ちは有難くいただいている。だが私が真に欲しているものは健康な食生活などではない。何か名状し難い快楽物質が脳から溢れ出るようなメシなのだ。ラーメン、ハンバーガー、フライドチキン、タコス、一目で体に悪いと言われるのは明白だ。しかし、人間ときにはその禁忌を破らなくてはならないような義務感に襲われる。それが今なのだ。限りなく体が熱によって追い込まれ悲鳴を上げている今なのだ。体に鞭を打つのは仕事の佳境でも家族の一大イベントでもない。今自分が崖っぷちに立たされている最中の糧なのだ。

某Twitter(現:X)の出自不明のツイートによると、日本人の食事観は己が国の豊かさで閉ざされてしまっているという。つまるところ保守的、排他的、独善的なのだ。極東の島国の男児を自称する私がこの破戒的思想に染まっているのは至極当然なのだ。間接的に故郷の味が禁じられ、近隣の監視下におかれ、食事すら自己決定できない生活を送っている私が、さらなる生命の器の窮地に立たされているのだ。

幸にして懲役期間のごとく私の赴任期間は決まっているため、その折には己の欲を満たすが如く牛飲馬食に走るに違いない。だが止めたもうなかれ。その果てに手に入れられるものがあるはずだ。

信じて駆け抜けた先にはきっと何かが待っている。

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