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悔しさ。英語で世界は繋がっている


『英語が話せなくても困ることはない』

これは日本人のほとんどが思っていることです。実際英語が話せなくても日本には仕事があるし、関わる人の99%が日本人なので。

『でも、困らなくても、悔しがることはなぜしないのだろう』

日本人は外国人と関わることが極端に少ないです。英語が話せないから悔しいなんて思わない。これが本音だと思います。

『僕は英語が話せなくて悔しい』

英語が話せず、世界から日本人の僕が孤立していると感じたことで変化した1人の日本人の話について。

英語に対する嫌悪感

語学学校に通いはや3ヶ月。それなりに英語を話せるようになって外国の友達も増え、楽しい留学生活を過ごしています。

それでも、言いたいことが言えない。間違えることが怖い。発言することに勇気がいる。いつまでたっても長年付き合ってきた日本人気質である完璧主義は消えません。それが邪魔してニコニコする日本人。留学でよく見る光景です。

英語が嫌い。語順も表現の仕方も発音もリズムも何もかもが日本語と違う。
そう思ってしまうのは留学生の定めであると思います。

ですがそこで感じるネガティブな感情が、悔しいと感じることが、その人にとって英語を話したい、世界中の人と仲間になりたいと思う一歩であると信じています。

悔しさで分かれる2つの道

腐って帰りの飛行機の日が来るまで無難に日本人と過ごしたり、文化も似ている韓国人と過ごして終わりという日本人留学生が多くいます。

きっと感じていることは僕と同じだと思います。
『英語が話せなくて仲良くできない』
留学して最初に感じることは、やはり民族間の若干の壁です。アジア人はアジア人と集まり、西洋人は西洋人と集まります。

ですが比較的南米人は色々な民族と分け隔てなく関わる印象だと留学を通して感じました。そんな彼らに引っ張られる形で順応する日本人もいます。

もちろんこれは人によりけりなのは当たり前ですが、事実としてこの現実があります。

そしてこの壁を感じた時に『悔しい』と感じるのか、『怖い』と感じるのかで英語上達、そして人としての価値観が大きく分かれます。

『悔しい』という感情から『世界と繋がりたい』と感じれるかどうか

世界を感じることができるか

世界を感じるなんて壮大でアバウトな表現しかできませんが、確かに英語を話して外国の方と心を通わせられた時、世界はいろんな人がいる、日本人だけが生きているわけじゃない、そう感じました。

『英語を話す』ということはネイティブに近づくことではないです。
『英語を話す』ということはコミュニケーションをとることです。

どれだけカタコトでも、どれだけ不自然な表現でも、英語を話すことは世界に開かれた『ツール』なのです。

ほんやくコンニャクがあれば、なんて思いますが、『ほんやくコンニャクなんていらないよ、日本人は日本人の英語を話せばいいんだよ』と世界に招かれている現実を知る。これが英語上達の、世界につながる気持ちの始まりです。

僕は英語が話せなくて悔しいです。留学をして、英語を学んで、少しは話せるようになったけれども、言いたいことの10%も伝えられていない。
英語の文法、発音、表現の適切さはもう少し高い%かもしれませんが、コミュニケーションが取れることが英語ができるかできないかの分かれ目です。

どれだけカタコトでも、単語が不適切でも、ちょっとづつ表現して、伝わらない悔しさを世界と繋がりたい気持ちに変えて、少しづつコミュニケーションが取れるようになり、英語が自分の言葉になってくると思います。

僕含め日本人は世界を知らなさすぎています。英語ができないと勘違いしています。完璧に話せないのは世界中の非英語圏の人全員です。ですが彼らはコミュニケーションのために英語をツールとして、心を通わせるためにちょっとづつ英語を話していきます。そして彼らは世界と繋がっていきます。

『日本は英語ができなくて悔しいと思う環境ではない。日本人に囲まれた素晴らしい国があり、経済がある。世界中の人たちに歩み寄ろうとする1歩を踏み出さない』

単語を話す、ジェスチャーをする、簡単な英語だけしか話せない、これだけでも世界中の人たちは日本人を、同じ人間だ仲間だと、輪に入れてくれます。



英語をビジネスのためのものとみなすのであれば相当な努力が必要だと思います。ですが、ただ外国の人と人として心を通わせるのにほんやくコンニャクは入りません。

必要なのは輪に入れない悔しさと、輪に入りたい気持ちだけです。


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