ぶどうパンの味

半世紀以上、昔のはなし。
父は、隣の日高市にある旧・日本セメント(現・太平洋セメント)埼玉工場に勤めていた。
山の中にある自宅から職場までは、HONDAの125ccのオートバイを使っていて、時々燃料タンクの上に私を乗せて、あちこち出かけたらしいのだが、私自身はよく覚えていない。
それどころか、私はタンクの上で眠くなり、コックリコックリ舟を漕ぎだし、父は慌てて片手で私を支えながらバイクを運転したそうだ。恐ろしい。抱っこ紐も補助席も着けずに、3つか4つのの幼子をタンクに跨がらせて、未舗装の林道を走るとか、
『ちちー、それは怖い・・・』(声:アーニャ・フォージャー)

顔振峠につながる道の途中で。

秩父と顔振峠の間を、尾根伝いに走る奥武蔵グリーンラインは、当時はまだ開通しておらず、未舗装の細い道があるだけだった。
上の写真はその途中で休憩したときに撮ったもの。
私は赤いブーツを履いていて、父の双眼鏡を抱えている。これがまた重かった。
当時の白黒テレビでもてはやされてた正義のヒーローは、大体ブーツを履いている。今で言う「推し」のマネをしてブーツを買ってもらい、どこへ行くにも履いていった。家の前の畑にも、履いていったし、なんなら雨の日も長靴を履けと言う親の言う事など聞かずに、ブーツだった(おかげで雨がしみた)。

お正月も、ブーツ。庭先で父撮影。

バイクから降ろしてもらい、道の脇の切り株に座ると、父が鞄からレーズンパンと瓶の牛乳を出してきた。

父「ぶどうパンを食べる時は、最初にパンを一口食べてみ。それから牛乳を飲むと、口の中でパンが小さくなるぞ」
私「ん・・・(もぐもぐ)」
なんで小さくなるんだろう・・・と思いつつも、私は「パンと牛乳」と言う黄金コンビの美味しさに、ただ満足して口を動かしていた。

私がご飯よりパンが好きなのは、多分これが原点なんだろうな。父もパン好きだった。
大腸の難病の影響で、15年前から牛乳は一切飲まなくなり、パンの相棒はコーヒーに代わったけれど、レーズンの入ったパンを買うと、ふいにあの時のことを思い出す。
他にも、8枚切の食パンにいちごジャムを塗り、更にその上にマヨネーズを乗せると美味しいと教えてくれた。これが案外美味しいのだ。好みは人それぞれだからおすすめはしないけど(笑)

父はその後、大手町に転勤となり、車を買ったので、バイクは乗らなくなった。
車庫にその数年後まで置いてあったが、友人に売ったらしい。
奥武蔵グリーンラインも、広い車道が秩父までつながった。
盛んだった林業は廃れ、手入れされない杉の木は、枝を伸ばして道路を暗くしている。
この10数年で、鹿や猪の食害も深刻になってきた。子供の頃はいなかった生き物たち。人に住処を追われ、ここまで来てしまったんだろう。
時代と共に、風景も変わっていく。あの頃はもう、遠い昔。

それでも、切り株に座って食べた「ぶどうパン」と、父と出かけた思い出は、変わらずに心の奥で、生きている。

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