【”1年目人事”として伝えられること】〜就活でやりたいことを見つける必要はない〜

こんにちは!
株式会社ネオキャリア新卒採用担当1年目人事の
鍛治信嘉(かじ のぶよし)と申します!😚

【なぜ、僕がこの記事を書いているのか】

「1年目人事」

という世間的には非常に稀なキャリアで
新卒入社している僕は、世の中の人事の方々よりも
お伝えできることは少ないかもしれません。

ただ、
「日本一、学生さんと距離が近い人事」
と捉えることもできます。

未熟ながらも学生の皆さんと同じ目線で
学生さんのキャリアを一緒に全力で考え、
不安を解消し、今よりも納得のいくキャリアを
実現してもらうことができることではないか
と強く思いました。

僕自身も、就活に悩む日々を過ごしていました。

だからこそ、今、皆さんが抱えている悩みを解決することが
できればと思い自分自身の過去や今、
1年目人事として皆さんにお伝えできることを
微力ながら綴らせていただいております。

読んで見てください。

【Profile】
#株式会社ネオキャリア #人事 #新卒採用担当1年目 / 富山県出身 / 1996.5.22 / 葬儀業経営(実家) / 全国大会(春高バレー・インターハイ)出場 / 3度の手術とリハビリ生活 / 個人事業主経験(ブログコンサル) 

【僕が最も実現したいこと】

両親が働かなくてもいい状態を創り上げること〜
”家族への恩返し”です。

僕の両親は葬儀業を営んでいるため、
”24時間365日年中無休”
で働いています。

父親は、夜中の2時に電話がかかってきても
起きて仕事にいかなければいけません


そんな生活を60歳以降も両親にさせたくない、
ずっと支えてもらっている
感謝の気持ちを形にして恩返しをしたいと思い、

「自分自身の中に
経営者としての素養が身につけられる環境」

という軸で就職活動を行い、3年生の2月に
株式会社ネオキャリアに内定を承諾しました。


“葬儀業の
「ビジネスモデル」「組織の採用」を変える”

“両親に今までできなかった
自由な生活をしてもらう”

半分は僕のエゴかもしれませんが、
本気で実現したいと思っています。

そう思うようになった背景を長々と綴っています
ので3分の1だけ読み進めていただき
最後の方まで一気スクロールしていただくことを
オススメいたします。笑

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「お母さん〜!行きたくないよ〜!
幼稚園行きたくない〜!」

とにかく弱虫で、泣き虫で、怖がりで
幼稚園に行くときは、お母さんと離れるのが
嫌で、どうしようもない子供
だったのを今でも覚えています。

毎日、園長先生にひきずられて
通園していたと母親から聞きました。

それは小学校に入っても変わらず、
小学校低学年の頃は、お父さん、
お母さんのことを思い出しては、
教室の隅っこでこっそり泣いていました。

「家に帰りたい」
思っていたのはただそれだけです。
小学校から家までの距離はわずか1㎞。
本当に小さい世界でした。笑

長男ということもあり、元々、
ガキ大将というか、みんなの先頭に立って
友達と遊ぶ子供ではありましたが、
人見知りがすごく、環境になれるまでの時間は
異常でした。

そんな僕の性格が変わるきっかけになったが、
”バレーボールスポーツ少年団”に入ったこと。

初めはかっこいいからという理由から
サッカーにしようと思っていましたが、
バレークラブの体験にいった時に
直感的にバレーが「楽しい」と感じ、
申し込み前日にバレーに変えました。

毎日の練習は新しいことばかりで、
自分の周りには
「できない」が溢れていました。

ただ、基礎練習でもなんでも、
「できない」が「できる」になっていく
その感覚が楽しくて仕方ありませんでした。

全日本代表に憧れを抱いていた僕は
「試合で活躍したい」その想いだけで
体育館でも家でもボールを触っていました。

ただ、背が低かったため、大きい人が簡単に
できるような力強いスパイクやブロックはできませんでした。

でも、背が低いという現実はどう頑張っても
今すぐに変えられるものではありません。

「どうしたら自分よりも
大きな選手に勝てるのか?」
それだけを考え続け、

「小さい自分にしかできないこと」
を作っていきました。

小さいなら、

 「高いブロックにわざと
当てて外に出せばいい」

「相手がどっちに打つかわからないような
打ち方をすればいい」

「ジャンプ力で高さを補えばいい」
「レシーブ力で勝ればいい」

「背が低い」
という状況は変えられなかったからこそ
自分にしかないことを考え、
自身の価値を創り出していくことができました。

主将でエースという
責任の大きな立場になってからは
「自分がやらなければいけない」
という意識が強くなり、
周りのメンバーをサポートすることに注力しました。

「自分が1番できる」という自負から、
自身のやり方を貫き通して、
メンバーを引っ張るだけの
キャプテンだった小中時代から

高校では、自分の成果は大前提で、
「自分以外の仲間がどうやったら
活躍できるのか」を徹底的に考え、

「自分がどれだけ泥臭いことができるか」
そんなふうに考えるキャンプテンシーへ
と変わって行きました。

そのきっかけとなったのが、高校生の時の怪我でした。
初めて味わった絶望でした。

右膝の

「半月板水平断裂」
「内側側副靭帯断裂」
「前十字靭帯損傷」

インターハイ出場をかけた
大会の1週間前の大怪我。

本戦まで1ヶ月半という限られた時間の中で
手術とリハビリにかかる期間は1ヶ月半と告げられました。

「せっかく出場を決めたのに
間に合わなければ意味がない」

絶望しました。

その時初めて、
両親や監督、仲間の前で泣きました

正直、自分が嫌になりました。
1日中、落ち込み続けました。

でも、
落ち込んでいても時間が刻々と流れていくだけ。

「俺はこの高校で全国大会初出場をする」

と偉そうに公言していた自分が恥ずかしくなった
と同時に、いつも応援してくれている
家族や周囲の人の期待に応えたい
という思いが強くなりました。

すぐに手術を受け、
リハビリ生活がスタートしました。

机の上に足をあげて、
アイシングをしながら授業を受ける日々。
移動は友達の10倍ほどの時間がかかりました。

部活でも、
1人だけコートの隅っこでずっとリハビリをし、
毎日、父親の車で1時間かけて病院へ通う日々。

ただ、
初めて仲間のプレーを外から見るようになり、
チームメイトの強み、弱みを知ることができました。

そして、
俯瞰的な立場からの監督との
意見交換ができるようになりました。

長いリハビリ生活は辛い時もありましたが、
ただ、その徹底したリハビリのおかけで
わずか1ヶ月で練習ができるようになり、
インターハイ本戦に出場を
果たすことができました。

この経験を通じて、自分がどうすれば

「仲間が活躍できる環境を
創り上げることができるのか」

「どうすれば自分自身が貢献できるのか」

を本気で考えるようになりました。

そして、

次の「春高バレー」に向けて
意気込んでいるころ、今度は、

左膝の
「半月板水平断裂」

また、痛い思いをして、
同じ生活を送らなければいけない
と思うと本当に落ち込みました。

ただ、今回は

「こんなにしんどい経験は全国探しても
自分しかいないんじゃないか」

「この状態で
成果をあげたらかっこよくないか?」

と楽観的に捉えることができました。

リハビリを早く終えて
「コートに戻ってやろう」と考えるようになり、
リハビリも楽しむことができるようになりました。

その結果、
復帰後にはジャンプ力もパワーも上がり
春高バレー出場をかけた決勝では、
過去の最高のパフォーマンスを発揮すること
ができました。

しかし、その後に3度目のケガ。。
また手術とリハビリ生活の日々。

周囲からは
「そこまでしてバレーを続ける必要あるの?」
「流石に無理がある」
と言われるようになりました。

ただ、僕の中では
そんなことは関係ありませんでした。

むしろ、
大好きなバレーを続けるためであれば
リハビリに費やす時間は
惜しくはありませんでした。

辛いリハビリに耐え続けた結果、
”夢の春高バレー出場”を成し遂げることができ、
最高に嬉しい瞬間を味わうことができました。


その後、スポーツ推薦で立命館大学に入学。

早く経営者としての素養を身につけたい
という気持ちから個人事業主をはじめました。

右を左も分からないまま
ビジネスの世界に飛び込み、
自身で経営が回せるように
素養を身につけようと奮闘する日々でした。

しかし、初めてのことばかりで
ビジネスの「ビ」の字も知らなかった僕は
何もできず、全く結果もでませんでした。

本当に嫌になり、
途中でやめようと何度も思いました。

でも、こんな小さなこともできない自分では
「恩返し」なんて恥ずかしくて言えないと思い、
とにかくいろんな人からの
アドバイスを聞きに行き、

1日24時間のうち、
18時間は試行錯誤に費やし、
ひたすら「できない」に向き合い続けました。

その地道な努力もあって
単月で200万の価値を生み出すことが
できるようになりました。

ただ、自分がやりたいこと
”家族への恩返し”です。

今までしてこれなかった
自由な生活をさせてあげることです。

これまで、自分がいたコミュニティは小さく、
社会のことを何も知らないなと痛感し、
就職することを決めました。

そして、

 「自分自身の中に経営者としての
素養が身につけられる環境」

という軸で就職活動を行い、
株式会社ネオキャリアに内定を承諾
しました。

もちろん、
「不安」「迷い」もありましたが、

両親に恩返しをするために、
自身が必要と感じているスキルを
この会社で培うことができると感じました。

不安だからこそ、
決断を早くすることを僕は意識しています。

決断を早めることで、

「人よりもより多くの
失敗や成功体験を積むことができる」

「失敗を恐れず、
挑戦することができるようになる」

僕は、それが成功への一番の近道だと思います。

「時間」「お金」「労力」
をかけるのであれば、
その道を正解にするための努力をした方が
いいと思いませんか?

〜「会社」は”自分の人生を【幸せ】
にするため”の「手段」にすぎない。〜


僕はそう思っています。

だからこそ、本気で
「今、自分のできないことに
くらいついていっています」



【3つの約束】

①「できない自分」に
”ワクワク”と”未熟さ”を感じ続ける

自分に期待しすぎているからこそ、
できないことにぶつかった時に
心が折れてしまう。

ただ、

→まだ20年しか生きていない若造に
「できない」があって当然

→これから成長していけるということに
”ワクワク”と”未熟さ”を感じ続けることが重要!

②置かれた環境・自分の決断を正解にし続ける
正解が何かわかってたら人生苦労しない。

むしろ、
正解がわかってる
ゲームやクイズをして楽しいか?

自分で正解を決めて行く人生を
送った方が100倍楽しいと思います!

③全ての人に感謝し続ける
自分はこれまでの人生の中で、
本当に自分は何もできない人間だなと、
痛感してきました。

泣き虫だった幼少期から今日に至るまで、
自分自身の成長は両親、家族の愛情と支えの力
のおかげだと思っています。

自分の足りないところを
正面から指摘してくれる人、
一緒に感情むき出しで挑戦してくれた人、

自分を必要とし
沢山の愛情を持って関わってくださる人、

全ての人に感謝の気持ちでいっぱい
です。


周りの人に恩返しをするためにも、

「自らが選択」
したこの「キャリア」
「正解」にするためにも

〜”採用”で会社を強くする〜

ことを自分自身のミッションとし、
株式会社ネオキャリア
アジアNo. 1のサービスカンパニーへと
導いていきたいと思っています。


「就活でやりたいことを見つける必要はない」
と僕は思っています。

これまで生きてきた人生の中で
学生しか経験したことのない皆さん
就職活動を通じて急に

”やりたいこと・正解”

を見つけろと言われても見つけられなくて
当然だと思います。

自分で正解の道を創っていくしかありません。

「会社」は”自分の人生を【幸せ】
にするため”の「手段」にすぎない。
のだから。。


今、正解が何かわからずに就活で悩んでいる人は
ぜひ僕に会いに来てください!

あなたの選んだ道「正解にする」ための
【3つの約束】を僕と考えていきましょう!😚