見出し画像

「自分にしか撮れない写真」とは?

自分にしか撮れない写真ってなんなのか?
結構考えた(っていうか今の考えている)


少し、話はズレるが、自分は肩書きを持つ事に興味は無い。でも、「写真家」という肩書きだけは持つようにしている。

いきなり矛盾しているが、何故「写真家」とだけは肩書きを持つかと言うと、写真を撮るという行為だけは、人生を通して死ぬまでやろうと決意したからである。

自分の活動期間が一生であると決めた以上、一生を賭けて冒頭の問いを見出したいと考えるようになった。

さて、自分にしか撮れない写真ってなんなのか?

結論、自分が感じるがまま、撮りたいものを撮ったらそれが自分にしか撮れない写真になると考えている。

凄く当たり前の事を言っているが、これが意外に難しい。

それは何故か?

自分にしか撮れない写真が、他者から評価される写真とは限らないからである。

評価されなければ、写真家として世間から注目されない。注目されなけば、写真で食っていくことも、写真活動を継続できないかもしれない。
また、SNSでイイねが貰えずに、自分自身の承認欲求が満たされない(誰にでもある欲求だし、そう思うことは現代では普通だと思います)。

他にもあるかもしれないが、上記の事だけでも、自分が感じたまま、撮りたいものを撮るって行為は難しい。

けど、自分は一生を賭けて撮ると決意した。
つまり、一生という時間軸で写真家として道を考えており、他者からの評価という部分に関しては死んでからでもいいとさえ思っている。

(まあ、そんなこと言ってますが、できれば死ぬ前までに評価されたいですけどね(笑))

けど、そう思うようになってから、自分が撮りたい写真を撮るって事に躊躇なくできている。ただ、自分が撮りたい写真が評価されるためには写真の描写に付加価値を付け加える必要は多いにある。

その付加価値の探究こそ、一番重要であり、「自分にしか撮れない写真」の自分なりの真の答えである。

それでは、付加価値とはなんなのか?

付加価値とは生き様や感性であると私は解釈した。

好きな音楽や、アート、ファッション。
これまで関わってきた人達から受けた言葉や行動。
結婚、愛する娘。兄弟。祖母。
今まで訪れた国や地域。
地元やその他の地域で起こる様々な社会問題。
戦争。天災。
映画、アニメ、小説。
政治、地域社会。

生きる上で触れる様々な事象が、自分の写真の付加価値を上げる。

その付加価値が受け入れられるかはわからないが、それがオリジナルな自分の写真を創り上げてくれる。

他者の評価を俺はどうこうできない。
だから、評価を気にすることはやめた。

自分にしか撮れない写真とはなんなのか?

この追求だけが、俺の行動源。

あなたしか撮れない写真はなんなのか?
あなたはどんな写真を残したいのか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?