[スター・ウォーズ]レイ三部作の問題意識と答え(1/3)

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スター・ウォーズのレイ三部作(シークエル・トリロジー)を解釈するシリーズの2つ目の記事である。

ここでは、レイ三部作を詳しく見ていくための準備をする。レイ三部作の問題意識は何か、それにどのように答えているか、考える。

先に結論を述べれば、レイ三部作の問題意識は

正しいことが分からず、未来を見通すこともできないならば、我々はいったい何をすればよいのか。先人たちをどう継げばよいのか。

だと考える。

これに対する答えは

今自分にできる最大限のことをする。そしてそれが必ずしも正しくないことを自覚する。問題が起きたときには反省し次の行動に生かす。
さらに、師の教えを守り、破り、離れるという「守破離」という過程を通して、先人たちを継ぐ。

だと考える。

1 レイ三部作の問題意識

前の記事で、レイ三部作を分析する上で物語外の意味に注目すると述べた。

ここでは、私が現実や現代社会をどう捉えるか述べる。それらから、レイ三部作の問題意識が浮かび上がってくる。

※なお、以下の私の主張はかなりおおざっぱである。しかし、私の目的はレイ三部作を解釈することであり、現代社会分析でも哲学的考察でもないので、この程度の雑な分析でも十分こと足りると思う。

1.1ジョージ・ルーカスの思想、ジョージ・ルーカスの不在

スター・ウォーズシリーズが置かれている現実を理解するためには、まず、創造者であるジョージ・ルーカスの思想を押さえる必要がある。一言で言えば、ルーカスは普遍的な物語を求めたとここでは考える。

ジョージ・ルーカスは神話学者のジョーゼフ・キャンベルから多大な影響を受けたことが知られている。以下の文章は『千の顔をもつ英雄』(ジョーゼフ・キャンベル著、早川書房)内の風野春樹氏による解説の引用である。

世界各地の英雄伝説を収集し研究してきた神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、その中に繰り返し現れる共通の構造があることに気づいた。
それを簡単にまとめれば次のようになる。
英雄はごく日常の世界から、自然を超越した不思議の領域へ冒険に出る(出立)。そこでは途方もない力に出会い、決定的な勝利を手にする(イニシエーション)。そして仲間に恵みをもたらす力を手に、この不可思議な冒険から戻ってくる(帰還)。
これが「英雄の旅」の基本構造である。つまり「行きて帰りし物語」である。
さらに神話を詳しく分析したキャンベルは、世界の英雄神話に共通する普遍的なパターンを発見する。「冒険への召命」「自然を超越した力の助け」「父親との一体化」などからなる、英雄物語の基本的なプロットである。
それではなぜ、ギリシア、インド、ネイティブ・アメリカン、日本など、地理的にまったくかけ離れた世界各地の英雄神話に共通のパターンが登場するのか。キャンベルは、精神分析の考え方からそれを証明してみせる。想像力の源である人間の精神の中には、共通の人間性が組み込まれている。そして、人類が普遍的に持つ無意識の欲求や恐れなどが象徴的に表現されているのが神話である。だから、同じようなモチーフが世界中の神話に現れてくるのだ、とキャンベルは考えるのである。
世界中のすべての英雄神話は、たったひとつの原型となるプロットのバリエーションなのである。これをキャンベルは単一神話(ルビ:モノミス)と名づけた

スター・ウォーズ(とくにルーク三部作)はまさに「行きて帰りし物語」である。ただし、ジョージ・ルーカスが影響を受けたのは表層的な物語のプロットだけではない。
表面上の違いを取り去れば、そこにはある普遍的なものが存在するという考えは、スター・ウォーズシリーズの根底にもあると私は考える。

神について見ていく。
世界には数多くの宗教が存在し、様々なパターンの神が伝えられている。それでは、ある一つの宗教だけが正しく、他はすべて間違っているのだろうか。あるいは、すべての宗教が間違っているのだろうか。

ジョージ・ルーカスはそうは考えなかった。彼は、あらゆる宗教は正しく、ひとつの絶対的なものの異なる一部を見ているのだと考えた。そして彼は、その絶対的なものを「フォース」と名づけ、それを映画で表現しようとした。

彼は、時代や地域に関わらず有効な、普遍的な物語を目指した。これがジョージ・ルーカスの思想だと考える。

スター・ウォーズにはジョージ・ルーカスの考えが存分に表われている。そのため、レイ三部作を解釈するうえで、ジョージ・ルーカスがレイ三部作の制作に関わらなかったことはきわめて重要である。

先人の思想をどのようにして継ぐか。先人の力を十分に借りることができないとき、いったい何をすればよいのか。これがレイ三部作の抱える問題意識である。

なお、『最後のジェダイ』でレイがルークから十分なジェダイの修行を受けなかったことは、このことを表していると解釈できる。『スカイウォーカーの夜明け』でも、レイはレイアによる修行を終えていない。

また『スカイウォーカーの夜明け』でポーがレイアの遺体の側で言った以下のセリフも、先人なき今何をすればよいかという問題意識を端的に表している。

POE: I got to tell you, I don’t really know.... how to do this. What you did.... I’m not ready. 正直分かりません。どうしていいか。あなたとは違う。準備ができていない。

ルーク三部作から登場しているルークやレイアは、ジョージ・ルーカスをはじめとする偉大な先人たちと重ね合わされている。レイ三部作で初登場した若い世代であるレイやポーは、J.Jエイブラムスら新たにスター・ウォーズの制作を担う人々と重ね合わされている。

※なお、以下では「普遍」を「あらゆる物事に共通し、かつ無くなることがない性質」という意味で用いる。「絶対」「客観」という言葉を「見ている人に依らないこと」あるいは「特定の立場・価値観にとらわれていないこと」という意味で使う。

1.2「絶対に正しいこと」はない

現代社会をどう捉えるか述べる。現代においては「絶対」や「絶対に正しいこと」が機能しなくなった。そう捉えると、レイ三部作のもつメッセージがわかると私は考える。

なお、絶対的なものがないという考えは、上で見たジョージ・ルーカスの思想とは(少なくとも表面上は)相容れない。このことはレイ三部作を分析する上で非常に重要な鍵となる。

現代では、社会全体を支配する価値観は衰退した(あるいは、衰退しつつある)。かつては、宗教や、伝統、国家などが、生きる意味や信じられる価値を保証してくれていた。多くの人々がある価値観を共有しており、その価値観を疑う必要は比較的なかった。しかし、宗教や国がもつ絶対的な価値を提示する力は弱くなっていった。

人々のもつ価値観は多様化した。自分が考える正しいことは、あくまで自分にとって正しいことに過ぎず、別のある人にとっては間違いであることが、実感されるようになった。生きる意味や信じられる価値を保証してくれるものはなくなった。

注意してほしいのは、特定の絶対的な価値観が衰退したのではなく、そもそも絶対的な価値観があること自体が疑わしくなったということである。

※「絶対的なものがない」と「絶対的なものが(たとえ存在するとしても)我々には分からない」はまったく別の主張である。ただし、とにかく我々にとっては絶対的なものはないということは同じである。ここではこれらを厳密には使い分けていない。

1.3未来を予想できない

現代の特徴として、さらに「未来を予想できないこと」を挙げる。

絶対に正しいことは分からない。特定の立場・価値観にいっさいとらわれないことは不可能である。どんなに冷静に判断しようとしても、それが誰かから見た視点であることから離れられない以上、公平で完全な視点ではない。そのため、現実を完全に把握し、未来を正確に予想することはできない。

絶対に信頼できる何かがある場合、閉鎖的で変化の少ない社会の場合、未来の予測が当たる可能性は比較的大きい。しかし、現代社会はそうではない。将来の予測をもとに行動を選ぶことは難しい。

なお、絶対に正しいことがないこと、未来を予測できないことが、映画内でどのように表現されているかは以下の記事で述べる。

1.4正しいスター・ウォーズはない

絶対に正しいことがないこと、未来を予想できないことは、レイ三部作の映画制作のレベルについても同様である。

レイ三部作に対する期待は非常に大きく、多様で、そして互いに矛盾していたように思う。

レイ三部作は、ルーカス・フィルムがディズニーに買収されてからはじめて作られたスター・ウォーズの映画である。ディズニーはこれからもスター・ウォーズ作品を作り続け、スター・ウォーズの世界観をさらに広げようとしていた。そのため、レイ三部作には新たな要素を盛り込むこと、新しいファンを増やすことが求められた。

一方で、レイ三部作は「エピソード○」と名のつくスカイウォーカー・サーガの続編かつ完結編として作られた。また、もともとのファン(の少なくはない一部)は、ルーク三部作のような「古き良き」スター・ウォーズを求めた。そのため、レイ三部作には、過去作の要素を取り入れ、今までのシリーズの完結としてふさわしい作品であることもまた求められた。
スピンオフならば制作上の制約も少なくファンの目も比較的寛容なのだが、エピソードI~IXに連なる作品として制作する以上、そうはいかなかった。

さらに、ディズニーは新作を作るにあたって今までの設定を清算した。ルーク三部作のその後を描いた膨大なスピンオフ作品は、正史とは別の設定として、言わば「なかったこと」にされた。とはいえ、物語内の同じ時期を扱ったそれらスピンオフ作品を完全に無視するわけにはいかず、かといってそれらと同じような物語を作ることも許されなかった。

問題をいっそう複雑にした要因は、ファンとジョージ・ルーカスが対立していたことである。ルーク三部作の特別篇とアナキン三部作を通して、ファンの理想とルーカスの理想が違うことが浮き彫りになった。ルーカスの考えに忠実な作品をつくることができたとしてもファンからは非難されるだろうし、ファン(だけ)が喜ぶ内容にすればスター・ウォーズが元々もっていたメッセージ性とはかけ離れてしまう。

また、いままでファンが一枚岩であるかのように語ってきたが、そうではないということも言っておかなければならない。

ルーク三部作だけを認める者、スカイウォーカー・サーガを愛好する者、スピンオフ作品も含めて楽しむ者、あるいは、メカニックやエイリアンの造形が好きな者、物語内の設定にこだわる者、CGや特撮技術に注目する者、作品の根底にあるルーカスの思想を重視する者など、多種多様なファンがおり、それだけレイ三部作に求めるものもそれぞれ異なっていた。

一般に大作の続編を成功させることは容易ではない。膨大な歴史と複雑な関係を抱えるスター・ウォーズシリーズの場合は、いっそうこれが当てはまった。

全員が納得するような作品を作ることは不可能だと言ってよいだろう。レイ三部作を作る上で絶対に正しいこと(正解)は存在しないと私は考える。

1.5時間が限られている

現実ではしばしば、ある物事に費やすことができる時間は限られている。

レイ三部作の制作においては、準備は十分ではなかった。レイ三部作は公開日が先に決まっており、それを変えることは基本的には許されなかった。

『最後のジェダイ』の撮影のスケジュールはかなりタイトだった。『スカイウォーカーの夜明け』では、途中で監督が交代し、一から始め直さなければならなかったため、制作期間はかなり短かった。

何が正しい選択か悠長に考える余裕はなかったと考えられる。上で引用した「準備ができていない」というポーのセリフは、このことを表していると解釈することもできる。

1.6問題設定

以上、レイ三部作を解釈する上で、現実をどのように考えるか見てきた。これらのことを前提にしてレイ三部作を見ると、有用な解釈が得られると私は考えている。

正しいことが分からず、未来を見通すこともできないならば、何が正しいか考える時間が十分にないならば、我々はいったい何をすればよいのか。先人たちをどう継げばよいのか。これが、レイ三部作の抱える問題意識である。

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