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東京(脳)⇔地方(手)という考え方

二拠点生活を始めてからぼんやりと考えているテーマがある。

それは「東京(脳)⇔地方(手)」という図式だ。

何も新しいことは言えてないが、東京はインターネットによる産業革命を推し進める「脳」の仕事が強い。より高度な脳化に適した人材が、よりお金を稼ぐことができる。脳による脳のための経済圏。

一方、地方はまだまだ「手」を動かした職業が強い。例えば長野市で出会うプレイヤーたちは「一級建築士」「料理人」「革細工職人」「家具職人」などなど、字の通り「手に職」を持っている。美意識や倫理観は自己で受け持ち、個人事業主として借金を背負ってでも、好きな仕事に人生を賭ける。

長い歴史で見れば「手に職」の価値観が圧倒的だろう。一次産業といわれる国を支える仕事は農業、林業、漁業だ。ただし、後継者不足や産業として稼ぎにくくなっているため、東京的な「脳」化のテクノロジーが一次産業を支え始めている。

少しずつこのグラデーションは境目がなくなっていくのかもしれないが、全国あちこちに足を運んで、何かを伝えようとするたびに考えることがひとつある。

冒頭で触れた「東京(脳)⇔地方(手)」の価値観をもう少しごちゃまぜにできないだろうか?

例えば、東京のデザイナーやプログラマー、企画職のクリエイターたちを地方に呼び込む。地方で「手」を使った職人たちと交流させる。日中は職場案内や手仕事の現場を見学して、夜は問答無用の人類コミュニケーションツール「酒」で脳と手の境目を曖昧にしていく。逆に地方の職人を東京の「脳」的な仕事に触れさせてもおもしろそうだ。

まぁ、こんなことは自然発生的に起きているし、そのごちゃまぜの循環が生まれた土地に地方創生文脈の「成果」が生まれているのも知っている。

ただ私は言葉として認識することの重要性をこの場で推したい。

手と脳。脳と手。

言葉を脳内ループさせていけば、「脳化に結びつくパソコンやスマートフォンの作業も手を使っているしなぁ」「音声入力のインターフェースが当たり前になればその差異はどうなるのだろう」「結局、自分はまだ地方で脳を動かしてるだけなのかもしれない」などと迷宮入りしてしまうが…。

この迷宮入りの仮説は、二拠点生活を続けた先にきっと答えが見つかるはずだし、そのためには手を動かす回数を増やせばいいだけだ。

「口を動かしてないで、さっさと手を動かせ」

この記事はこの言葉通りに書いているものの、結局は脳の仕業である。

難しいな、もう。

1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!