祭りのあとのセンチメンタル

こんにちは。日菜子です。

今日は私が個人的に「大人になったなー」と思う出来事を。

私は幼い頃、華やかなものが大好きで、同時にとても苦手でした。
お囃子ときらきらひかる屋台のおまつり。
夢の国、テーマパーク。
非日常の連続、観光・旅行、ちょっとした遠出。

もちろん楽しくて、夢のようなのだけれど、帰ってきたときのなんともいえない虚無感と絶望感、本当にたまらなかった。

私はこれを江國香織が『ウエハースの椅子』で表した〝絶望〟だと思っているし、梨木香歩が『西の魔女が死んだ』で表した〝家にいるのにホームシック〟だと思っている。
そして、中学生の時に友達(@あさぬー)に紹介されたとある歌には、それは『祭りのあとのセンチメンタル』と形容されて、年頃の私はしっかりと納得したのです。

でも大人になって、お囃子と屋台は大人が支えてくれていたものだと知って、夢の国にもマンホールはあるということを知って、旅行会社は私にとっての平日にも誰かに休日を提供しているということがわかって、なんとなくさみしくなくなった。
私にとって夢のような時間もちゃんと現実につながっているから、何も怖くなくて、虚しくなくて、さみしくない。

それでも楽しく騒がしい用事から帰ってきて、ふぅ、と一息ついた時、猛烈にさみしくなっても、それが私1人しか感じない気持ちじゃないと分かれたから、「たのしかったから、さみしい〜」と分かち合える人がいて、こんなにさみしいのはたのしかったからだな、と帰属できるちょっと大人になった認知がある。

これが私の「大人になったなー」のエピソード。今年の夏休みは前半が怒涛の夏休みパレードで非日常を満喫しまくり、今は机に向かっているけど、なんとか自分が保たれる。

素敵な成長。
でも、あの頃の圧倒的な何かは子ども特有のそれで、またそれも美しかったなぁ、と思うのです。
全部素敵だなぁ、今後の人生、まだどんなふうに物の感じ方、見え方が変わるのかと思うと、楽しみです。

日菜子

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