息子とお茶、息子と牛乳

息子は先月2才になった。今のところ無事に育っている。

「ご飯食べよう?」→「ご飯だめ!」「お外遊びに行こう?」→「お外だめ!」「おうち帰ろう?」→「おうち帰んない!」「お風呂」→「はいんない!」「ねんねしよっか?」→「ねんねする! いっしょ!」(笑)

毎日疲れるが、たぶんおおむね順調に育っている。今日はそんな息子について書いてみたいと思う。

先日、旦那が息子について「牛乳を妙にきちんと飲むのがかわいい」と言っていて、わたしは自分が息子に施した英才教育について思い出すこととなった。

それは「牛乳は座って、両手で持って飲んでね」というお願いだ。

お茶はまだこぼれてもいい。拭けばなかったことにできるくらいの気安い飲み物だ。だが牛乳は違う。放っておくと匂いがでる。固まる。後片付けも大変だ。やめてくれ。牛乳をこぼすのはやめてくれ。

うむ。わたしはたしかに自分でコップを持って飲むようになってから「牛乳は座って、両手で持って飲んでね」と、毎回言うようにしていた。

そんなことを思い出しながら息子をよく観察してみると、お茶は一丁前に片手持ちをして飲んだり、立ったままちょいっというかんじで飲んだりするが、確かに牛乳はコップを両手で持って、イス、もしくは床に座って飲むようにしているようだ。

なんか、すごいなと思った。これが教育なんだ。息子の行動原則の中には「牛乳は座って、両手で持って飲む」と書き込まれているんだ。わたしは、息子の行動原則を今まさに書き込んでいるのだ。

とはいえ、毎日続く生活の中で「良い行動原則」や「良い行動習慣」、「良い行動原理」だけを書き込もうと努力するのは到底無理な話だ。少なくとも、わたしにとっては。努力目標ですら届かない。無理だ、自分のゆるさを思い出せ。

だから行動原理の「核」だけをいつも大切にしようと思っている。

「自分を大切に。やさしくしよう」
「お母さんや周りの人を大切に。やさしくしよう」
「おもちゃや道具を大切に。やさしくしよう」
「楽しいことをしよう」
「悲しいときは抱きしめてあげるから泣いてね」

わたしは子供に「自分の存在と心を大切にする人に育ってほしい」と思っている。それができてから、「自分の気持ちと同じように周りの人やものを大切に考えてほしい」と願っている。

あとは元気に大きくなってくれればそれでいいや。

今、お母さんは家をきれいにできていないし、ご飯もわりと手抜きだし、ほんとごめんって思ってる。家をきれいにしておくことは自己肯定感に影響が大きそうだから掃除しようとは思ってるよ、もう少し待っててね……息子よ、まじごめん。

だけど、お母さんが生きてきて一番大切だなと思ったこと、「自分を大切にすること」だけは、きっと教えてあげるからね。毎日、教えてあげるからね。

泣いても怒ってもケンカしても、毎日君が大好きだからね。

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