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抹茶ミルク8

年末。忙しい仕事をようやくさばき終わり、同僚と飲みに行った帰り道、見慣れぬ電話番号から電話があった。
「もしもし?」
ちょっとためらうような気配があって、話し出したのはおやじだった。
「もしもし、お父さんですよ。和志だよね、元気ですか?」
ぎょっとして、俺は同僚から離れて、電柱にもたれかかった。
「…そうだけど。…なに?」

「もうすぐお正月だろ。どうしてるかなと思ってな」
「どうしてるも何も…今日が仕事納めだったよ」
「そうか。和志もいい会社に就職できたものな。給料もいいんだろう?」
嫌な予感がした。

「…俺、帰宅中なんだけど、もう切っていい?」
「あ、いや!」
慌てたようにおやじが答えた。
「実はさ、お父さん、今住んでいるアパートを出なくちゃいけなくなってな」
「次の場所を年越し前に借りるのに、10万円必要なんだよ。それで和志にちょこ~っとお金を貸してもらいたいなーってな♪」

おどけた様子で話すおやじの声を聞いた瞬間、俺は恐怖心でいっぱいになった。
― こいつはおふくろにたかれなくなって、子供に金をせびることにしたのか! 
借金だってまだ残ってんだろ! 
今回は10万だけど、これを出したら、次はいくらせびりに来るんだよ!! -

目の前が真っ暗になり、倒れそうになる。だが、調子よくしゃべり続けるおやじの声に怒りを奮い起こし、俺は叫んだ。
「ふざけんなよ! なんで俺がお前に金を出さないといけないんだ! いい加減にしろ!」

おやじの返事を聞かないよう、急いで電話を切って荒い息をついている俺の姿を、周囲の人がぎょっとして見ている。混乱と恐怖と嫌悪と怒りと恥ずかしさと悲しさとうっすら湧いた後悔の念にぐちゃぐちゃになりながら、俺は大急ぎでその場を離れた。


大晦日になった。
またもや見慣れない電話番号から着信があった。
無視していると、二度三度、四度、五度と繰り返し着信した。
おやじが電話番号を変えて、金の無心をしてきたに違いない。誰が出るか。
すると自宅から電話があった。

「もしもし?」
「和志、今どこにいるの!」
おふくろのえらい剣幕に俺は驚いた。
「どこって買い物だけど」
「大変なのよ! お父さんが危篤なの! 桜林大学病院だから、今すぐ向かって! 私も俊と行くから!!」
がちゃん!と電話は荒っぽく切られた。
通話の途切れたスマホの画面をぼんやり眺めながら、頭の中が真っ白になる。

年越しの準備でにぎわう街の中、せわしなく楽し気に歩いていく家族連れやカップル、友達同士の流れを遮るように、俺は立ち尽くした。
行きかう人たちが俺の体にバンバンぶつかり、チッと舌を鳴らされる。よろめきながら徐々に道路の端に追いやられ、壁にぶつかったところではっとした。

― 桜林大学病院! -

スマホで検索し、電車の乗り継ぎを確認する。1時間ほどで到着できそうだ。
いつしか俺は無我夢中で最寄りの駅に向かって走り出していた。

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