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egg(33)

 
第七章
 
今日は日曜日。珍しく朝からお父さんの高藤隆治が自宅にいるせいか、朝食にサラダやフルーツも出ていて盛りだくさんだ。3人そろってキッチンのテーブルにいるのは久しぶり。わたしこと高藤由美はお母さんの恵美と向かい合った席に座った。
新聞を読んでいたお父さんがわたしに尋ねた。
「由美、就職活動はどうなっているんだ?」
わたしはコーヒーに口を付けてから答えた。
「うん。この前会社の面接を受けてきたよ」
お父さんが新聞と老眼鏡をテーブルに置いた。
「そうか! どの会社だ?」
お父さんとお母さんの期待をひしひしと感じながらわたしは答える。
「江戸本リースっていう会社だよ」
「リース会社か」
お父さんの声に硬さを感じる。わたしはじっと次の言葉を待った。
「去年バブルが崩壊してから、リース会社の取扱高は昨年比2割減で流血が止まらないと聞いているんだが、会社はしっかりしたところなんだろうな?」
わたしはこくりと頷いて答える。
「自動車リースがメインで大手企業とお付き合いが多いから安心してくださいって人事の人が説明していたよ。営業職として採用されるから…」
「営業だって!?」
急に大声を出したお父さんをわたしはびっくりして見つめた。お父さんが怒ったように言う。
「由美、営業はダメだ。外回りの仕事は歩いてなんぼの泥臭い仕事だぞ。お前に向くわけがないだろう!」
「でもっ!」
わたしは焦って話を続ける。
「男女平等に実績で評価されるやりがいのある職場だと、OBの先輩もおっしゃっていたし。知らない世界だから思い切って飛び込んでみるのもいいと思って」
ふううっとお父さんがこれみよがしにため息をついた。
「離職率は調べたのか?」
「え?」
戸惑うわたしをちらりと見てお父さんが言う。
「男女平等ってことは、女性にはきつい職場だということだ。たくさん雇ってたくさん辞めている会社なんじゃないか? その辺きちんと調べないと後で悔やむことになる」
わたしはコーヒーカップを両手で抱えて、黒い水面をじっと見つめた。絶望感が胸まで上がって来る。
「あなた…」
お母さんがお父さんの肩に手を置いて、それ以上言わないでという仕草をした。お父さんが咳払いをして、優しい声でわたしに言った。
「あのな、弘子おばさんを覚えているか?」
弘子おばさんはお父さんの義理の妹だ。とてもきれいな人だけど、短気で怒りっぽいからほとんど話したことはない。息子の正彦君とはいとこ同士だから小学生のときは帰省すると一緒に遊んでいたけれど、あの事件が起きて以来すっかり疎遠になっていた。
「うん、覚えてる…」
下を向いたままわたしが答えると、お父さんが話を続けた。
「弘子おばさんは今東京にいる。日照大学の学長の二号さんになったんだよ。それでな、おばさんにお願いして、由美が大学の事務員になれないか頼んでみた」
わたしはびっくりしてお父さんとお母さんを見た。お母さんがほほ笑んで言う。
「由美、日照大学は日本で一番大きな私立大学なのよ。結婚しても働き続けられるし、お給料も結構いいのよ。一生安泰に暮らしていけるわ」
お父さんが畳みかける。
「明後日、おばさんの家に行ってきなさい。おばさんが由美と話をしてから、学長に推薦してくれるそうだ。なあに、血のつながっている相手だ。緊張する必要はない。自己PRと志望動機だけは用意しておくんだよ」
わたしは言葉もなく、両親を見つめた。すでに何もかもお膳立てされてしまったのだ。わたしが不甲斐ないばっかりに、両親に就職まで決めてもらうことになってしまった。大学だって四浪してお父さんが探してきた今の大学に滑り込んだのに。今度こそ、自分の力で人生を進めようと思っていた。だけど、そうか、もうダメだったのか。
わたしは無理やり口角を引き上げて、両親ににっこりとほほ笑んだ。
「わかった。色々手伝ってくれてありがとう。明後日弘子おばさんの面接を受けてくるね」
二人がほっとした様子でわたしに微笑みかける。わたしは席を立った。
「あら、ご飯もういいの?」
お母さんがわたしの背中に話しかけてくるので、わたしは首を横に振って答えた。
「ちょっと夏バテっぽくて。ごちそうさま」
お皿を流しに運ぶと、わたしは自分の部屋に戻り扉を閉めた。

 

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