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抹茶ミルク5

「だからぁ、俺だって頑張ったんだよ。お金を借りている会社から、『俺の腕を見込んで頼みがある。私たちと提携しているフィリピンの不動産会社で社長を引き受けていただけたら、借りた分をなかったことにいたしますが、どうですか?』って言われてさあ。借金はなくなるし、次の仕事のめども立つし、一発逆転だって思ったんだよ!」
「ところがさ…おい、泣いてないで聞けよ! この会社ががとんでもなくてさ。都心の一等地の高層ビルの権利を買ったはずが、別の所有者がいることがあとからわかって、金を出したのにビルが手に入らなかったんだよ。それで社長の俺に負債が…」

バリーン!
グラスの割れる音がした。
「出てって!!!」
バリーン!
「もうあんたの顔なんて見たくない! 今すぐ出て行って!!」

「おい! それが亭主に言う言葉か! 俺だって借金を返すために、言葉もろくに通じない海外に行って働いてきたんだ! それを出ていけだと!! ここは俺の家でもあるんだ! お前こそ出ていけばいいだろ!!」
「馬鹿言わないで! 3年よ! 3年も私たちをほったらかしにして、連絡一つ寄こさないで、よくそんなことが言えるわね! これまで私が一人で全部やってきたのに、何を今さら!!」

俺はそっと扉を閉めて、二人の喧嘩が聞こえないようにした。
俊は布団に潜り込んでゲームを手にし、俺はいつものように勉強を始める。耳のそばで血管がドクドクと脈打ち、周囲の音がいつしか聞こえなくなった。

翌朝、目が覚めるとおやじはいなくなっていた。
真っ赤な目をして抜け殻のようになったおふくろは、ファンデーションを塗りたくると会社に向かった。どうなったか、聞けなかった。

その晩、帰宅したおふくろは、思いつめた目つきで、俺に相談したいことがある、と言った。
「お父さんと別れようと思うの。和志の意見を聞かせて」
俺はおやじの変わり果てた姿を思い浮かべた。
家族のために努力したのかもしれないが、おやじがいなくなって丸3年。仕事も家事もこなし、俺たちを育ててくれたのはおふくろだった。

おやじと家族じゃなくなる、と考えると寂しさがどっと湧いてきたが、おふくろの選択が正しいように思え、俺は自分の本音を飲み込んだ。
「いいんじゃない。別れれば。今まで大変だったんだし」
しばらくじっと俺の目を見ていたおふくろは
「わかったわ。ありがとう」
というと席を立った。

おふくろに相談されたことで、俺はなんだか有頂天になっていた。おふくろに頼られたことがうれしかった。大人として扱われた気持ちだった。
こんな悲惨な状態だからこそ、おふくろの片腕になって、これからも助けていこう。だって、俺はおやじの代わりになるんだから。

自信が胸にみなぎって、ぐぐっと膨らんでいく。俺は前を向いた。
まずは3か月後の大学受験だ。名のある大学に合格して、いい会社に就職するんだ。そうすれば、生活は今よりずっとよくなるはずだ。
おやじがいなくても大丈夫。寂しいけど、おやじにだってきっとわかってもらえるさ。

ふと、おやじとおふくろと俺の3人で、夜に出かけた幼い日のことを思い出した。
俺はおやじとおふくろの間で手をつないで童謡を歌っていた。みんなにこにこ笑って、薄暗がりの中を仲良く歩いていた。
電灯に映る手をつないだ3人の影法師がずんずん長く伸びて、俺は
「うわー! 背が伸びたよ! おっきいねー!」
とびっくり。
おやじが笑って、「もっともっと伸びるぞ~」と言って俺を追いかけてくるから、慌てて逃げて、そのまま影踏みしながら遊んで帰ったんだ。
懐かしいな。
あの頃に戻れないかな。
でも…
それでも。

俺は胸の中で光る透明なエネルギーの塊を感じた。ちっぽけな自尊心が大地から顔を出し、大きく成長したがっている。賽は投げられた。もう前に進むしかない。
「よし!」
俺は大きな声で自分に喝を入れた。

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