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型の考察 ボビナム編

4か月前にちょっとしたきっかけがあって、ボビナム(ベトナム総合武術)という武道を始めた。子供の頃、空手を習っていたし、コロナでスポーツもままならないから、Zoomで毎日短時間でも練習ができるのは魅力的だった。でも、全く知らない武道なのに、果たしてできるんだろうか…。

最初の1ヶ月は訳が分からないまま、ひたすらに凸しました。旅の恥はかき捨て、じゃないけど、初心者なんだし、できないのが普通だろと割り切った(こういうの得意笑)。そして、zoomの中で諸先輩が滑らかな動きでニャンモンクエなどの型を披露するのを、羨ましいような、できない自分が恥ずかしいような気持ちで眺めつつ、基本の技を教わり始めたのでした。

ちなみに、基本のチェムやらガッやらダーやらドンやらは8つの技があり(の中にさらに4〜8種類の技がある)、これらの名前がベトナム語なので、余計に頭に入らないわけ。数字の数え方からして、モッ、ハイッ、バー、ボン、ナム、が、1.2.3.4.5となっているので、技の練習中の言葉から全然伝わらない。マスター(先生)が「はい、次はドンマッ」と指示してくれても、何をやるのかサッパリわからない。そして動きがトリッキー。空手ではまずやらない上方から腕を回して叩きつける動作とか、足を斜め前方に向かって踵から蹴り上げる動作とか。あと腰を捻ったらダメとか、肘や膝を使う攻撃法が体のどこを狙うかで分かれているとか。とにかく攻守のジャンルが広くて細かい。

基本頭が良くない私としては、これらの情報を一気に整理して把握することができず。窮余の策として、何も考えず、ただただ繰り返して体にインストールすることをまずは心がける一ヶ月を過ごしたのでした。

でも、それがかえって良かった。体は脳の認知とはまるで別の回路を持っているんですね!基本を刻みつけることで、あとから頭がついてくることが増えてきたのです。よく素読、音読が勉強になるという話を聞きますが、あれも脳を使っている部分は少ない。むしろ、全身に言葉を染み込ませる作業だと思います。それを、やってから意味を知ると、深く落ちる。理解の深さと幅が言外のものとして実感できる。それと同じなんだなと感じられたのです。

知らないことを知るだけでなく、できるようになるためには、なんであれ実践が欠かせません。私にとってのボビナムは、久々に現れた意味不明のオブジェクトであり、体当たりすることで、その技一つ一つに閉じ込められている魂と技による思考術を引っ張り出して喰らい付き飲み込む経験となっていたのです。

型というのは、こういうときにまず原始的に最も良く作動するんだな、と実感ができました。その後も新しい技や型をひたすらに鍛錬していますが、体が「これ知ってる!」と叫ぶ瞬間が少しずつ増えてきています。この後、どういう変化が身のうちに起きるのか、今も楽しく観察しています。

で、次に疑問になったのが、「昔身につけた型を再現するとき、身体はどう反応するのか」です。これは書道を活用しているのですが、続きは次回。

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