1年休学して、復学して。

2018年春に大学院に進学してすぐ、1年間の休学をしていました。
2019年春に復学をして半年、過ごしてみて思ったことを書き留めます。

そもそもなぜ休学をしたのか。

「休学しないと経験できないこと」をしたかったから。
休学をしていた理由はさまざまなところで聞かれますが、表向き(?)には「もともと4年で出るつもりだった大学だけれども、もっと研究したくなって、両親と相談して学費を稼ぐために休んでいた」ということが多いです。
これは半分本当で、半分は違う話。

大学院進学は学部3年生のときから漠然と思い描いていたし、「早く働きたかった。就職も考えていた」とかいうけれども、インターンや就活は学部生のときに全然していません。

なぜ、「休学」の選択肢が自分の中に現れたのか。

いつごろ決めたのか、みたいな話は諸事情で明言できませんが、
北海道を離れて、全国をフィールドに活躍してみないか、とお話をいただいたのが始まり。大学入学からずっと関わってきた大学生協の学生組織の全国版へのお誘いでした。
学部3年生の頃から北海道地域の他の大学生協をサポートする役割を任せてもらい、もっと伝えたいことや考えたいことがあった自分にとって、もう1年、全国という新しく、広いフィールドに出られることはとても魅力的でした。
お話をいただいたのは、大学院入試の出願をするよりも前のこと。大学院進学か、卒業して東京に引っ越すか(※全国フィールドではあるものの、本部は東京)、悩んで導いた結論が「休学をして、1年間は東京で頑張って、また北海道に戻る」。これまで勉強も大学生協のことも、両方に一生懸命だった自分にとっては、「やりたいことを両方できる」選択でした。

学費の話が半分本当なのは、活動保障費として手当が支給される条件があり、大学院2年の授業料は東京で貯められそうであったことを、両親に休学を相談したときに伝えていたからです。実際、東京での1年間は実家からの支援はもらっていなかったものの、2年間分は貯まりました。北海道に戻るときの家探しと引っ越しの費用も、退任にあたっての補助は活用しつつ、自分の貯金から賄えたほどです。

「休学したからできたこと」は本当にたくさんありました。
担当地域だった中国・四国のみなさんから学んだこと、全国で同じように活動している学生に伝えられたこと、これから先の大学生協の姿をビジョンとしてまとめあげたこと、全国から大学生協関係者が集まり話し合う1000人規模の総会の事務方の責任者として総会を成功できたことなどなど。
学生のつながりだけでなく、多くの社会人のみなさんとお話することも多く、社会の中での自分たち学生の存在や期待されていることに気づくこともたくさんありましたね。

「まっすぐ歩むこと」の世間の価値観の強さを感じた復学からの半年。

「休学していた」というと、多くは珍しがられます。

自分から言うこともあれば、経歴の話で気づかれることもあります。
話をややこしくしたくない気持ちがあって、わざわざ自分から言う機会は少ないので、「あれ?」となることの方が多いですかね。
ただ、留年や浪人も、同じ1年のブランクなのに、「1年間、なにしてたの?遊んでたの?」と言わんばかりの反応をされることが少なくないのは、自分にはどうしようもできないけれども、ちょっと嫌だなぁと感じます。

「休学はイレギュラーなもの」という考えが世間の考えなんだなぁと感じる機会は嫌になるぐらいありました。

休学・復学の手続き(しかも北海道から1年離れる)に大学の事務は慣れていないとか、偶然にもカリキュラム改組の年に当たってしまったので、旧カリ・新カリをめぐって講義担当教員に面倒だなって顔される(先生も直接は言わないけど)とか、なんなら「旧カリの学生っていたの?」みたいな情報共有方法だったりとか、そういうのは軽い方。

直近で一番しんどかったのは、インターンの面接で「学生時代に頑張ったこと」として「大学生協の学生組織で…」という話をしたときに、「休学中の話も含めて、大学生協の話は分かった。それ以外は?」と言われたこと。
自分にとっては休学中も学生時代だと思っているし、休学前までの4年があって、さらにその次のステップとしてつながっているものなのに、4年間の勉強と並行して取り組んできたことじゃないと、というニュアンスを感じてしまったのが辛かったです。
自分がうまく伝えきれていない(後で余談で書きます)のはあると思いますが、否定された感じが嫌だったのかもしれません。

インターンのWeb情報登録で、休学の情報が入力できなかったり、「修士なのに3年在籍ですけど間違ってません?」ってエラーメッセージ出されたり(長期履修制度だってあるでしょ、て思うんだけど)とか、そういうのも地味にダメージありますけどね。「休学したからできたこと」があるのに、休学そのものがなかったことにされてしまう感覚が嫌なんだろうと思います。

まっすぐストレートに生きることだけが本当に人生なのかなって。
遠回りしても、そこでしか経験できないことで成長できたなら、それもいい人生だと思います。1年の遠回りがこの先80年ぐらいの自分の人生を豊かにするなら、それはいいことだなと思って休学したんだもの。

**(余談)休学に対する風当たりから考える、自分がこれまで全力で取り組んできたことの現在**

自分がこの5年ちょっと取り組んできたことに後悔はないですし、やってきたことへの自信、「自分だからできたんだろうな」と思うこともあります。
しかし、協同組合・大学生協という組織のこと、組織の事業について学生が関わっていることが社会的に広く知られていないからなのか、自分が頑張っていることのおもしろさを、両親や親戚を含めた、協同組合活動に関わったことのない人たちにうまく伝えることができていません。そのため、「休学をして全国職として活動していた」と言うと、一サークル活動に興じていたという受け止めをされてしまうことも少なくありません(ここが自分にとって一番の精神的障壁、周囲の人に共感を呼ぶべきなのに、一歩踏み出しきれないときがある)。
「社会運動としての大学生協活動」という表現を好んで用いますが、社会参加に対する若者の無関心も言われている中で、他の大学生・大学院生との温度差を感じてしまうこともあります。しかしながら、自分で考え行動してきたことで変わってきたと思うことも、これからの社会をつくるべき存在である若者の力も、個人としては強く信じています。
社会的認知度も多少あれど、協同組合活動のおもしろさを感じているのに、周囲に広く伝えられていないという人が少なくないことが、きっと私たちの今の大きな課題なんだろうと思います。
この課題は、全国各地の活動を支えている人たちだけでなくて、それぞれの所属で日々頑張っているひとりひとりが変わっていくと、現在とこれから先に活動しているみんなにとって、もっとやりがいと魅力を感じられるようになることだと思います。

休学をしたことで気がついたことと、これから。

休学をしたことで、気がついたことが3つ。
・人生の歩き方は多種多様であって、遠回りもできること
・社会との関わりで、若い人たちも自ら考えて行動することが本当に大事だということ

・学ぶことはそれ自体がおもしろいこと
(3つ目はここまで全然触れてませんが、一度学びのフィールドから離れてみて、学ぶという行動が貴重で楽しいことだなと思いました。そういう意味で1年で戻ってきてよかったとも思います。)

この考え方はこれから自分が生きていく中で大事なことになるとともに、関わる人みんなにちょっとずつ伝えていくのだろうと思います。

もちろん、これまで5年ちょっと、しかも北海道や全国をフィールドとして経験させてもらったこともたくさんある人として、その経験を自分だけが持ち逃げしないように、これからも大学生協に関わっていく人たちに伝えていくことは役目としてあるでしょう。実際、伝えたいことは数えられないぐらいあります。
自分が大学生協を深く理解している学生であるという理由だけでなく、構成員のおよそ4分の1は卒業と入学で入れ替わる組織だからこそ、「伝え続けることの大切さ」がありますね。

大学生協もっとよくなるよね、というお話はいろいろな経験から確かにあるけれども、
それ以上に、自分の生き方で大事にしたいなと思うことに結果的に出会えたことが、休学をした自分にとって何よりもよかったことなのかもしれません。

「早く働きたいなぁ」(←高校時代からずっと思っている)とか、「大学キャンパスの中だけじゃなくて、もっと社会に出た方がいいよ」とか、小言チックに思うこともありますが、そう思うのも、休学して気づいた2つのことがあるからなのでしょうね。

休学は自分が思っていたよりも緩い選択ではなくて、復学したあとにぶつかる壁があるけれども、休学してよかったとは本当に思っています。


また壁にぶつかったら自分が読み直して頑張れるための文章として、とりあえずここまで。
また何かあったら書き足すかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?